写真家 ヨハン・オーカタさんのこと

写真家 ヨハン・オーカタさんのこと

みなさんこんにちは。
フィルムカメラ系VTuberの御部スクラです。

今日は写真家の話をします。
好きだった写真家の方がいたんですよ。
有名ではないんですけど、ヨハン・オーカタさんという方です。

ヨハン・オーカタさん

ヨハン・オーカタさんは和歌山県出身で、2000年代後半に、東京の四谷三丁目にあるギャラリー・ニエプスで何回か個展をされていました。
ギャラリー・ニエプスは、写真家の中藤毅彦さんが中心に運営されているギャラリーですね。

なんで急にヨハン・オーカタさんの話をしようと思ったかというと、昔、その個展で絵葉書を何枚か買ったんですよ。
展覧会、よく絵葉書を売ってるじゃないですか。

で、わたしは個展とか、美術館の展覧会とかで買った絵葉書はどんどん使っちゃうんですけど、先日、葉書に手紙を書いて送る機会があって、ヨハン・オーカタさんの名前を思い出したんです。
それで送ったあとで気がついたんですが、ヨハン・オーカタさんの絵葉書はそれで使い切ってしまったんですけどね。

当時、ギャラリー・ニエプスでヨハン・オーカタさんと話したことがありました。
そのときに、ヨハンさんの写真と文章が載った雑誌、風の旅人の38号というのをいただいたんですけど、その後その本は手元からなくなってしまったんですよね。
なんですけど、ヨハン・オーカタさんの写真が見たくて、今回、その風の旅人 38号をふたたび手に入れました。

風の旅人 38号
『風の旅人 38号』 2009年10月、ユーラシア旅行社

ヨハン・オーカタさんの写真は基本的にモノクロなんですが、当時、わたしがなぜヨハンさんの写真に惹かれたかというと、なんでなんですかね。
ちょうどヨハン・オーカタさんの写真展を見に行った頃、わたしはかなり人生が迷走していたんですけど、そういう自分自身の状況に、写真の内容を重ね合わせていたのかもしれません。

風の旅人 38号より

ヨハン・オーカタさんという写真家は、はじめに話したように和歌山県出身で、もともと音楽をやっていた方です。
音楽のために上京して、でもそのあと病気で和歌山に戻って、その療養中に写真をやることを薦められて、東京で写真展を開くに至った、ということです。

出典:「「風の旅人」に 「光跡/追憶…和歌山」、和歌山のヨハン・オーカタさん」わかやま新報 2009年09月30日(2021年5月28日閲覧)
https://www.wakayamashimpo.co.jp/news/2009/09/post_1493.html

その後、ヨハン・オーカタさんはまた和歌山に戻って、eel gallery(イール・ギャラリー)というギャラリーを開きます。
イールというのはうなぎのことです。
じつはわたしは10年くらい前、関西を旅行したときに、一度そのeel galleryを訪れたことがありました。

たまたまそのときは写真展はやっていなくて、ほかの方の展示だったのですが、ヨハン・オーカタさんと再会することができました。
なぜeel gallery、うなぎギャラリーという名前なのか確か教えてもらったのですが、その理由は忘れてしまいました……。

eel galleryのURLはもうリンク切れになってしまっていて、ヨハン・オーカタさんはいまどうされているんでしょうかね。

ギャラリー・ニエプスのWebサイトを見ると、2015年までは写真展をされていたようなのですが。

出典:・2015 – niepce-tokyo(2021年5月28日閲覧)
https://www.niepce-tokyo.net/exhibitions/up-coming/2015/

じつはわたしは、写真から完全に離れてしまった時期があったので、その頃写真ギャラリーを回ったりしなくなってしまっていたんですよね。
できることなら、また作品を見てみたいです。

じつは、ヨハン・オーカタさんの活動が取り上げられた映像が、YouTubeにUPされています。
というかチャンネル名を見るに、本人がUPしたもののようです。
リンクは貼らないのですが、もし興味があったらぜひヨハン・オーカタさんの名前で検索してみてください。

ちょっとだけカメラの話をすると、その映像ではヨハン・オーカタさんはコンタックスG2にPlanarの35mm F2をつけて使っていました。

関連書籍『風の旅人 38号』

まとめ

というわけで、写真家のヨハン・オーカタさんの話でした。

ありがとうございました。
御部スクラでした。