人生が(自分の思い込みでドツボにハマって)終了するたびに、なぜか、そのときの自分に与えられるべき作品と出会ってきました。
まさに、神のようなものがそのように備えて与えてくれたかのような。
前回は伊藤計劃の『ハーモニー』だったのですが、今回はアニメの『無職転生』でした。
結論からいうと、素晴らしいの一言でした。
Contents
コミュニケーションを学びなおす作品
『無職転生』という作品の素晴らしさ。
それが、コミュニケーションを描いている作品であるということです。
しかも、人間というものをよく見、わかっている大人がコミュニケーションを描いているということです。
この作品は「コミュニケーションが苦手な大人がコミュニケーションを学びなおすためのアニメ」だと思います。
このアニメでは、人間同士の葛藤がコミュニケーションで解決されます。
並みのアニメならば葛藤が生まれても、葛藤は葛藤のままモヤモヤして終わってしまう。
ところが『無職転生』ではコミュニケーションにより葛藤が解決され、着地する。
できないことを教えてくれる作品
わたしはそれができません。
コミュニケーションが不全です。
自宅にずっとこもって、人と会わない状況で動画だけを作っているうちに、わたしはどんどん精神を病んでいっていました。
最近のわたしはカメラについての動画を作る以外なにもしないマシーンになっていたと思います。
そんな状態の人間が、まともな精神状態でいられるわけがありませんでした。
わたしのことを認めてくれる人がいるというのに、勝手に、こういうことをしたら叩かれるのかもしれない、みたいな被害妄想じみた状態になっていました。
というよりそもそも、まともな人間は精神を病んだとしても、一年以上続けて収益化したYouTubeチャンネルを消したりしません。
それくらいコミュニケーションが不全のわたしにとって、この作品の描く人間関係はすべて「こうすればよかったのか」と学ばせてくれました。
誠実であること、嘘をつかないこと、正義であること
さらには、描かれる行動がどれも正義である。
といっても勧善懲悪だとか、パターン化された演出としての正義ではありません。
大人になってスレてしまった人がやりがちな、卑怯や姑息を行わないという意味での正義。
人に助けられたときに恩を返すという意味での正義。
誰かから頼みごとをされたときに、可能な範囲でも協力するという正義。
人を裏切らないという正義。
そういったものです。
わたしはどれもできません。
だから、そういったことが描かれるたびに、人生のそういう失敗が脳裏をよぎりました。
その場しのぎの小手先のテクニックではなく、本質的なコミュニケーションの技術。
本質という言葉は濫用するべきものではありませんが、このアニメはまれにみる本質的な作品です。
異世界転生という偏見
異世界転生ものというジャンルにわたしは偏見をもっていましたが、印象が一気に覆されました。
聞けば、原作は異世界転生ものとしては初期の作品かつ、元来非常に高評価だった作品とのことです。
それも当然のストーリーでした。
本作が素晴らしいのは、主人公が引きこもりの30代男性であるということに必然性があるということです。
必然性があって書かれた作品だからこそ、ここまでのものになったのでしょう。
家族
そしてもう一つの要素。
それが家族。
1期の序盤、視聴していて思ったのは家族っていいなということでした。
そして2期クライマックスの「家族になってほしい」という台詞。
明確に本作のテーマのひとつには、家族というものがあるのでしょう。
すきえんてぃあ先生に感謝
普段そこまでコンテンツを追っていないわたしが、この作品を見ようと思った理由。
それが、Twitterでαの精神科医、すきえんてぃあ先生が絶賛していたからです。
すきえんてぃあ先生が絶賛するということはハズレのはずがありません。
ロキシーがかわいいが、ロキシーがかわいいと思う人間は……
ちなみに本作の推しヒロインはロキシーですが、本作にはロキシーに執着する異常者のキャラクターが登場します。
おそらく、本作の並みいる女性キャラクターの中であえてロキシーに惹かれる自分もまた、異常者のひとりなのでしょう……。
話はズレますが、2期中盤のロキシー回は、アニメという表現媒体において障害者というもの、人、直面する社会を、障害者という言葉を用いず完璧に描いた点で歴史に残る回だったといえるでしょう。
もちろんその他の回も、すべてにおいて完璧です。
(最近のアニメ事情に詳しくないんですが、ロキシーってもしかしてめちゃくちゃ人気キャラ……?)
すべて完璧(性的描写を含め)
本作の1期が放映開始された時点で作画レベルの高さは話題になっていましたが、その他においても、すべてにおいてレベルの高い作品です。
性的な描写があからさまに含まれる点のみ人を選ぶ可能性はありますが、性的なことこそ、小手先ではないコミュニケーションが求められる最たるものです。
本作の性描写には必然性があります。
すべての面において、必然性のある描写、設定、画、台詞etc…しか存在しない作品。
1990年代、2000年代のファンタジー作品その他のコンテンツを踏まえたうえで制作されていることも含め、これまで日本のアニメというものの歩みを総括する、集大成的な作品であるといえるでしょう。
わたしはコミュニケーションを学びなおしたい
インターネットから消えるつもりでしたが、無職転生が素晴らしすぎてこんなことを書いてしまいました。
YouTubeから消えてわかったことのひとつが、わたしは生の自分でもいいんだということでした。
カメラについての動画を作る以外なにもしないマシーンになってから、いつしかわたしは、バーチャルYouTuberの御部スクラでいつづけなければいけないと思うようになっていました。
ところが、いざ今回精神的に追い詰められ、バーチャルYouTuberではなくなっても、友達は「バーチャルYouTuberをやっている〇〇さん」ではなく、ただの「友達の〇〇さん」として接してくれた。
そんな当然のことを忘れていました。
それに、今回、YouTubeを消すという支離滅裂な行動に陥るのに相応しい精神的危機に陥っていたのですが、親が本気で心配をしてくれた。
子供がどんな状態でも、どんなに情けなくても、子供のことをこんなに心配するものだということを人生で初めて実感した。
わたしはそれくらいコミュニケーション不全な人間です。
だからこそ、無職転生というアニメはここまで突き刺さったのでしょう。
わたしはコミュニケーションを学びなおしたいです。
そして、なんとか生き延びてはやく3期が見たいです。