アニタ・チャン他 『チェン村 中国農村の文革と近代化』読書感想

チェン村

最近中国の近現代について興味を持っている一環で、『チェン村 中国農村の文革と近代化』という本を読んだ。

チェン村

アニタ・チャン リチャード・マドスン ジョナサン・アンガー 『チェン村 中国農村の文革と近代化』
小林弘二 監訳
1989年 筑摩書房 初版
原著”Chen Village”は1984年 University of California Press刊

『チェン村 中国農村の文革と近代化』

1970年代~1980年代初頭にかけて、中国本土から香港へ移住した元住民からの聞き取りをもとに、広東省のとある村が文革下にどのような出来事があったかを書いたノンフィクション(固有名詞は特定できないよう仮名となっている)。
ノンフィクションと呼んでよいと思うが、半分小説のように読むこともできる。

主に四清運動からはじまって文化大革命下で村の人間関係がどのように動いたか、飯を食い政治的に立ち回るためにどのように個々人が動いたかを書いている。

本書を読むことを思い立ったのは、田原史起氏による2冊の著作、『中国農村の現在』(2024年、中公新書)と『二十世紀中国の革命と農村 (世界史リブレット 124)』(山川出版社、2008年)を読んだからなのだった。

田原史起氏による2冊の著作、『中国農村の現在』(2024年、中公新書)と『二十世紀中国の革命と農村 (世界史リブレット 124)』(山川出版社、2008年)

その2冊では改革開放以後を扱っているが、その前提となる文革期についてかなり解像度高く認識することができた。

また、田原史起氏の著書で触れられている農村社会の仕組みや、中国での血縁の重要性が、なぜいまそうなっているのか(昔からそうだったものが文革期を経てなぜ生き残ったか)シームレスに理解できた。

読む前は、原著が1984年、日本語訳が1989年ということで政治的バイアスがかかっていたり、内容の粗さがあるのではないかと警戒していた。

しかしどちらも杞憂で、視線はとても冷静で淡々としている。

人がどう動いたかということを主に分析しているが、入れ込みすぎておらずとても読みやすく感じた。

※ただし固有名詞について、漢字で表してほしかった箇所はある。

全体的にいうと、文革期の中国について基礎知識を得ることができるので、とりあえず読んで間違いない一冊。

本書、おそらく中国のこういう時期に興味がある人にとっては基本的な書籍だと思われるのだが、日本語圏のインターネットに全然情報がない。
どうなっているのか。
1980年代の本は古すぎていまどき誰も読まないのだろうか?

細部としては、ラスト、改革開放以後にどう村の住人が動いたかが書かれるのだが、運送業に集中するために農地の分配を辞退した住人がいた。
しかしこの村、山の中とはいえ現在は深圳市内らしく、あとでめちゃくちゃ後悔したんじゃないだろうか。

もはや中国現地で古き良き時代と捉えられている文革期について、知識の入り口がほしい人におすすめ。

関連 1987年の書評

関連するPDFがここで読める。

西澤治彦『中国農村社会における宗族と政治, Chen Villageをめぐって』
民族學研究/52 巻 (1987) 3 号 1987 年 52 巻 3 号 p. 260-266

https://www.jstage.jst.go.jp/article/minkennewseries/52/3/52_KJ00002396600/_article/-char/ja/

米Amazonのレビューがとてもよいので自動翻訳を転記

米Amazonでペーパーバック版についたレビューがとてもよいので自動翻訳を転記する。

転載元:https://www.amazon.co.jp/dp/0520259319

以下引用

本書は、中国南部の農村における社会的、経済的、政治的変化を縦断的に研究したもので、村民、地元幹部、そして派遣された若者が、1960年代以来の政治的な風潮にどのように対応してきたかを明らかにしている。また、1990年代から20世紀最初の10年間に工業化とグローバル化が村民と出稼ぎ労働者の社会的、経済的生活に与えた影響も明らかにしている。

本書は、中国に関する他の著作と比べて、3つの重要な点で独特である。第一に、著者(米国とオーストラリアの3人の社会学者)は、村で何が起こったかを熟知し経験している村民と派遣された若者に対して、300件を超える質的インタビュー(P.5)を実施した。さらに、著者らは1987年から1990年、および2006年から2007年(8ページ)に数回この村を訪れ、都市化と工業化の力によって村の慣習、社会階層、社会生活がどのように影響を受けたかについての精神的なイメージを補完した。この本で収集されたデータは直接的なものであり、中国に関する他の研究で広く使用されている二次データ(新聞、雑誌、統計など)よりも比較的信憑性と信頼性が高い。

第二に、この本は1949年以来中国の政治と経済の風景を大きく変えた毛沢東や鄧小平などの重要な政治家に焦点を当てていない。研究対象となっている主要なアクターは、非常に後進的な村に住み、さまざまな政治の風潮や外部の力に対処しなければならない、教育を受けていない、貧しく、無力な中国人のグループである。村の住民のほとんどは政治よりも自分たちの生活を重視していたが、激動の政治運動に参加せざるを得なかった。文化大革命の間、下放された若者たちは毛沢東の格言に疑いなく忠誠を誓った。第 9 章では、彼らが 70 年代半ばに毛沢東主義と共産党への信仰を失い、ついに村から逃げ出した経緯が語られている。

第三に、この本は農村レベルの政治環境を詳細に描写している。地元の幹部は通常、親族を優遇し、彼らの指導スタイルは伝統的な中国貴族のスタイルだった。村の住民は、彼らが国家資源を割り当て、あらゆる種類の許可証へのアクセスを制御していたため、贈り物を惜しみなく与えて彼らの機嫌を取らなければならなかった (P.281)。法律では、村の指導者は 3 年ごとに住民によって選出されるべきであると規定されていたが、共産党が候補者の最終リストを決定し、「人民からの異議はなかった」 (P.345)。これが中国の農村における民主主義である!

陳村の 50 年にわたる物語は、現代中国社会の劇的な皮肉である。急速な工業化により、村の農地や養魚池は新しい製造工場に取って代わられた。村民は、農地を手放して村政府から定期的に現金を受け取ることで、より良い中流階級の生活を送ることができた。一時的な生計を立てようと、出稼ぎ労働者が村に押し寄せた。1980 年代以前の元の村民の劣悪な生活環境と同様に、彼らは長時間労働と厳しい雇用条件で疲れ果てて生き延びていた。

この本は、中国の農村における経済的近代化、資本主義の発展、階級格差、社会的アイデンティティのプロセスを完全に理解することに関心のある読者に強く推奨される。

余談

関係のないことだが、こういう本について語ろうとするときに「したたかに」「生き抜いた」「描いた」「描き上げた」のような情緒的な言葉を手癖で使おうとしてしまうのだが、意識してそのような書き方を避けた。
人文系の言葉が染みついているとつい「人々」を「したたか」であるように語ろうとしてしまうのだが、その視点は上から目線で相手を舐めているものだと認識するようになったので、そのような言葉を自分は好んでいない。
自分の言葉を矯正する必要がある。