VRChatで技術者の知人に薦められて、アイザック・アシモフの『われはロボット』をいまさらながら読んだ。
古典SFというと、昔、ハインラインやフィリップ・K・ディックの有名な作品をひととおり読んだことはあったのだが、アシモフというと、手垢のついた古臭い作品という偏見があり、ほとんど読んだことがなかった。
アシモフに対しては、大衆的なエッセイを書く人というイメージが強かったことも大きい。
さて、今回本作を読んだわけだが、まさにいま、2020年代の中葉という時代に読んでこそ意義がある作品であることがわかった。
VRChatの知人にも、そういう意味での薦められ方をした。
本作は、タイトルにロボットとついていることで「人型の、ヒューマノイドの機械じみたロボットの話」と思われがちだが、実際にはそれは主題ではない。
本書はAI、人工知能……そういった単語もまた手垢がつきすぎているので厳密な言い方をすると「人間の手によって生み出された人間以外の知性」についての小説である。
本書の最も主要な登場人物であるスーザン・キャルヴィン博士(1982年生まれ)の職業は、そのものずばり、ロボット心理学者であるが、本書の前半にある短編は、まさに心理学の話である。
知性が判断をすることについての話である。
そして、人によって作られた知性は人間を出し抜くようになっていく。
わたしは以前、大規模言語モデル(LLM)を「AI」と呼ぶのはよくないという意見に同意していた。
しかしながら、大規模言語モデルのことをAIと名付けたのは、まさに的を射ていると思うようになった。
大規模言語モデルは人間の知性とは異なるものであるし、身体性も、自我も、クオリアもなにも持っていないかもしれない。
だが、それらを持っているかどうかは、人間外の知性を「AI」と呼ぶこととは関係がない。
また、あたかも人間以外の知性であるように見えるものを「知性」と呼ぶか否かということとも関係がない。
本書は古くからのSF読みであるVRChatユーザーから布教された一冊だが、彼のいうように、まさに現在にこそ読まれるべき古典である。
