広中一成の日中戦争三部作を読んだ流れから、ちくま学芸文庫に入っている、江口圭一『十五年戦争小史』を読んだ。
ちくま学芸文庫 江口圭一『十五年戦争小史』(筑摩書房ウェブサイト)
本書は1986年に第一版が出版され、1991年に第二版が刊行されている(このちくま学芸文庫版も第二版がもととなっている)。
「ちくま学芸文庫版に入っている」ということが、本書の品質を保証してくれていて、安心して読み始めることができる。
江口圭一『十五年戦争小史』の概観
本書は、1931年の9月18日の柳条湖事件からの、いわゆる十五年戦争についての通史である。
この「十五年戦争」という単語については、とくにインターネット上での国粋主義が隆盛してから強い批判が見られるようになった。
それに対して、本書は、なぜ十五年をひとまとまりのものとして見なければならないかということを明確に示してくれる。
本書が述べていることは、米・英に経済的に依存しているにもかかわらず、中国において利益を得ようとした日本が、それを失わないようにしようとし続けたがために、愚かにもすべてを失ったということである。
また述べる順序が後になってしまったが、その愚かな選択のために、中国はもちろん、アジア全体に大きな暴力を振るったということでもある。
※本書の表紙が中国における日本軍だということは、いわゆる太平洋戦争と、中国での戦争とがひとかたまりだということを表明している。
こういうことをいうと、現代のどうしようもないインターネットでは、日本以外のアジアへの蔑視と、自分たちの先祖が悪事を成したことから目を背けたいがばかりに、「お前は日本の誇りを失わせる裏切り者だ」「いつまでも永遠に謝罪し続ければならないのか?」と批判される。
しかし本書を読むと「はい、日本は悪いことをしました」と明確に言うことができるようになる。
本書の優れた点、文体と論調について
具体的に論じていることとは別に、本書が優れている点がある。
それが、非常にニュートラルな、飾り気のない文体で書かれているということである。
本書は明確に日本政府を、天皇を、そしてそれに協力した国民を批判している。
しかしながら、そのときに語気の強い単語を選ぶことをしていないし、批判者の手癖のような言い回しをしていない。
そのことが逆に、かつての日本が行ったことについて、抵抗感なく読者に覚えさせることを実現している。
本書の内容はそもそも、大学(愛知大学)の日本政治史の授業内容を下敷きとしたものである。
そのことが、本書がこのような文体である理由なのだと思う。
(余計な一言なのだが、それに対して広中一成氏の著書は、内容はよいのに文章がひどい)
40年
この記事を書いているのは2026年なのだが、本書の第一版が出版されてから、ちょうど40年も経ってしまった。
わたしはもう自分の世代を隠していないので書くと、本書と同い年になる。
現在、わたしが戸惑っているのは、日本の多数の人々が、日本は素晴らしい国であることに一切の疑いを抱いていないことである。
これは「昔はよかった」に近いことは自覚しているが、少なくとも1990年代までは、インターネットが21世紀に普及するまでは、もう少し「うしろめたさ」を持つ人が多くはなかったか。
その「うしろめたさ」を解消してこそ、本当に自分の住む場所を誇ることができるとわたしは考えるのだが、そのように思う人はどんどん減っている。
本書の最後では、明確に昭和天皇を批判している。
わたし自身も、数年前から、日本は戦後すぐに天皇を廃位して共和制になっていたらよかったのに、と思うようになった。
いまとなっては手遅れで、戦後すぐに可能だったかもしれない最大のチャンスを逃してしまったのだが。
(そう思うようになった最初のきっかけは、日本人はこんなひどいことになったのに、なぜ権力者にもっと怒りを向けなかったのか、と思ったからだった)
本書が発売されてからの40年で、状況はどんどん悪くなってしまった。
インターネット上で国粋的な言論が広まる流れが続いて、すでに25年、四半世紀になってしまった。
本書の335~336ページには、1986年当時の日本人について
「昭和天皇の戦争責任をめぐるあり方が日本国民の相当部分の心を大なり小なり傷つけ、昭和天皇・皇室への不信感を大なり小なり形成してしまったこともまた確かである」
「日本国民の圧倒的大多数は昭和天皇の後継者のためにみずからの身命を二度と捧げることはしないであろう。聖断による聖戦=天皇の戦争の終結とともに、日本国民の聖上=天皇への帰一と献身もまた終結したのである」
とある。
著者がこう書いた状況は、2026年現在では完全に消失してしまった。
現代の日本人は、天皇や国家に対して、自分の意志か、もしくはインターネットによる扇動によって喜んで身命を捧げるだろう。
日本は失敗した。
ただし、その失敗は、インターネット上の過激な国粋主義的意見を、馬鹿の言うこととスルーしていた自分たちの世代にも責任がある。
このように非常にデリケートな領域についての政治的立場を明確に表明するのは、デリケートな内容について考えること、述べることを回避してきたことが、現在の排外的で国粋主義的で、弱い物をいじめることを多くの人が娯楽としている状況を招いたと考えるからである。
(インターネットのむき出しの自由と、他人を扇動することで小銭が儲かることも大きな要因である。自分は、インターネットは実名登録制にするべきと考えていて、日本のとくにオタク層と一切意見が合わない。しかしこれは、この記事の内容とずれるのでこれくらいにする)
とにかく、本書を読むことは、日本の戦後の歴史は正当だったのか疑問を持つことにつながる。
単に通史としても非常に優秀で、読みやすい文体ですらすらと頭に入ってくるので、必読の一冊である。
