「民藝の100年」展覧会感想と自分語り(国立近代美術館)

「民藝の100年」展覧会感想と自分語り(国立近代美術館)

みなさんこんにちは。
フィルムカメラ系VTuberの御部スクラです。

今回は
柳宗悦没後60年記念展 民藝の100年
という展覧会についてです。

柳宗悦没後60年記念展 民藝の100年

柳宗悦没後60年記念展 民藝の100年

こんな雪の日だというのに、東京都写真美術館に行ったあと、竹橋の国立近代美術館をはしごしてきました。

民藝というのは、この展覧会が柳宗悦の没後60年を記念という名目であるように、柳宗悦が中心になりはじまった、一般の民衆が使う日用品に美を見出す運動です。
(Wikipediaのリード文を参考にした雑な説明……)

まず、この展覧会の内容について簡単に話すと、国立近代美術館で大々的に開催されているだけあって、民藝というものの流れを、一気に概観することはできたんじゃないかなぁ、と思います。

印象としては、わたしのチャンネルでも紹介した、2020年に練馬区美術館で開催された式場隆三郎展と、全体の展開が似通っていると思いました。

展覧会感想 式場隆三郎 腦室反射鏡(練馬区立美術館)

というか、そもそも式場隆三郎は民藝に関わっていました。

それから、民藝というもの、柳宗悦という人も、式場隆三郎という人も、これらの展覧会で振り返られているものや人というのは、現在からのタイムスパンがだいたい同じくらいであるわけです。
大正~昭和初期にかけての出来事というのが、美術館で、ある程度評価の定まったものとして振り返られるという時期になっているのでしょう。

それから、戦時中における民藝とか、戦後の動きについても、全体の割合としてはそこまで多くはないのですが十分に触れられていました。

展示されているもの、たとえば陶磁器や家具、染織などはどれもいいものばかりです。
手仕事の道具とか、骨董とか、古道具とか、そういうものが好きな人にとっては、実物を見ることができるという面でも楽しめる展覧会なんじゃないかと思います。

柳宗悦の書斎(復元)
上の画像は、唯一撮影可能になっていた、柳宗悦の書斎の復元。

古道具が好きだった時期があった

さて、ここからは自分語りに入ってきます。

カメラが好きな人にもそういう人は多いと思うのですが、わたしも、古道具とか骨董とか、そういうのに興味を持った時期があったんですよ。

知り合いにそういうのが好きな人がいて、その影響でした。
西荻窪で皿を買ったりとか。

でも、カメラと違ってそこまでのめり込むことはなくて、結局、手元にはほとんど残っていません。

唯一いまでも持っているのがこれです。

李朝ではない

これ、知り合いからの貰い物だったので残してるんですけど、李朝だということらしいんですけど、たぶん違うんじゃないかと思います。
くれた人自身が「接着剤で貼り付けてある部分があって価値がないのであげるよ」という感じだったので、まあ、骨董としての価値はないです。
これ、食器としては使わずに、小物を入れるのに使っています。

あとはそば猪口を買って使ったりもしましたね。

さて、そこまで古道具にのめり込まなかったのは、古道具を生活の中で用いるというライフスタイルが、それ自体、とても典型的なものになってしまうので、自分がそこまでやらなくていいな、と思ったからです。

日用品に美を見出すという「型」

自宅で使っているトレー
上の画像:自宅で小物入れに使っているトレー(年代不明)

漢字で「民藝」と書くと古いもののように感じますが、ここで提示された価値観って、ようするにいま「丁寧な暮らし」という言葉で表されるようなものへ受け継がれていると思います。
そして、そういう暮らし方というのは、とてもオリジナリティにあふれているもののように見えるものの、実際には典型に陥っている。
丁寧な暮らし方をするというマーケティングの対象になっている。

民藝というのは、すでに100年くらい前の運動です。
この展覧会を見て、とても情熱があり、経済や政治にも食い込もうとした、とても大々的な運動であったことがわかりました。
でも、100年も経ってしまうと、民藝が提示した「型」というのは、それ自体があこがれの対象であり、類型化されたものになっているんですよね。

これは、式場隆三郎展を見たときも似たことを思いました。
1930年代に八幡学園の生徒が描いた作品は、当時とても新しく、情熱的なものだったのでしょう。
でもいまとなっては、アウトサイダーアートという世界で「そういう描き方こそアウトサイダーアートらしい」というひとつの規範となってしまっている。

ほかには、雑誌が始まってから25年くらいはとても切実なテーマを扱っていた、地に足のついた雑誌だった『暮しの手帖』が、
いまとなっては単純に、丁寧でオシャレでなライフスタイルを送りたい人のための雑誌になっているというのも似た事例だといえるでしょう。

新しかったものが規範になっていくのは、どんな分野でも必ず発生するので仕方ないことです。

わたしの生活の中では、そういうものはエッセンスとして少しだけ取り入れればいいかな、と思ったのは、だいたいそういうことを感じたからなのでした。

後遺症として、プラスチック製品の最低ラインが無印良品になる、みたいな謎のこだわりがあったりするんですけどね。

大量生産品を丁寧に使おうとしている

さて、というところから考えると、いま、一番民藝的な生活の道具ってなんなんでしょう。

じつはわたしは以前から、ニトリや無印やイケアやダイソーの食器を、めちゃくちゃ丁寧に使うということが、民藝とか丁寧な暮らしに近いんじゃないかと思っています。

無印とIKEAと百均の食器

民藝、一般の民衆が普通に使っていた道具を見直すという運動なわけです。

大量生産された製品というのは、それとはまったく異なるものであるわけですが、大量生産されたものであったとしてもきちんと使うとことにも、同じ精神を見出すことができると思うのですよね。
必ずしも、作家物の食器を用いることだけが暮らしの細部に気を配ることではないと思っています。

まあ、結局は生活するのにテンションが上がればいいだけだ、ともいえるんですけどね。

金継ぎもどきを施した無印の茶碗

普通のものを普通に使う

ということで、わたしのいまの立場としては、普通のものを普通に使う、というのがよいと感じています。

2010年代にはファッションにおいてもノームコアというムーブメントがありましたね。

民藝とか、普通に用いられていたものを見直す運動というのは、結局それだったのだと思います。

得てしてそういう運動は、最終的には高級化へ行き着いてしまうのが悲しいところなのですが……。
どうにかならないんですかね。
先鋭化して高級化すること。

展覧会情報

最後に展覧会の情報です。

柳宗悦没後60年記念展 民藝の100年は、
東京の竹橋にある、国立近代美術館で2022年2月13日(日曜日)まで。
休館日などは公式Webサイトをご覧ください。
新型コロナウイルスの影響で変更もありうるので、ご注意ください。

国立近代美術館公式Webサイトより
柳宗悦没後60年記念展 民藝の100年

https://www.momat.go.jp/am/exhibition/mingei100/

ありがとうございました。
御部スクラでした。

動画はこちら