みなさんこんにちは!
フィルムカメラVTuberの御部スクラです!
今回は展覧会の感想の動画です。
見に行ってきたのは、東京の恵比寿にある、東京都写真美術館で開催中の
「TOPコレクション 琉球弧の写真」と
「生誕100年 石元泰博写真展 生命体としての都市」
の2つです。
琉球弧の写真
まず、東京都写真美術館の3Fで開催されている「琉球弧の写真」
この写真展は、戦後の琉球弧、沖縄本島を中心とした列島のことですね、で活動した代表的な写真家の作品を総覧する内容です。
展示されているのは7名。
順路順に
山田實
比嘉康雄
平良孝七
伊志嶺隆
平敷兼七
比嘉豊光
石川真生
以上の方々なのですが、琉球弧、沖縄の写真について少し聞きかじったことがあれば、代表的な人物が選定されていることがわかるのではないでしょうか。
沖縄。
戦後の日本の写真史について語ろうとすると、沖縄というテーマが必ず関わってきます。
日本の本土の写真家でも、中平卓馬や東松照明といった沖縄をテーマにした重要人物がいますが、
今回作品が展示された方々は、そういった日本の戦後写真史を代表する人たちとのつながりがあるんですね。
たとえば中平卓馬に影響を受けて写真をはじめた比嘉豊光。
それに、中平卓馬を起点に話を進めようとすると、石川真生さんも、比嘉康雄さんも、とにかくこの展覧会に展示された作家の名前が続々と出てくるわけですけど……
ですけど、それってあくまでも本土からの視点でしかないんですよ。
わたしは東京でこの展覧会を見ていることからもわかるとおり、沖縄の人間ではなく、東京の人間です。
沖縄の写真というのは、日本の、本土の写真史から付随して派生するものとして見られていたんじゃないか。
この展覧会のキャプションで、それぞれの写真家のプロフィールが書かれていたのですが、日本の本土の写真家とのかかわりというのは、たしか東松照明の名前が一箇所出てきただけだったんです。
もしかしたら、それは意図的なもので、この展覧会の名前が「沖縄の写真」ではなくて「琉球弧の写真」であることからもわかるように、可能な限り、現地、琉球弧の立場からの視点を提示しようとしたのではないか、という指摘はおおげさでしょうか。
作品のトーン、モノとしての写真について
さて、展示そのものについてなのですが、基本的にはモノクロプリントです。
収蔵品展で、とくに記載はなかったですがオリジナルプリント、作家自身がプリントしたものでしょう。
沖縄、というテーマということで、写真の内容には、米軍基地であるとか本土復帰であるとか政治的なテーマも多いです。
わたしはこれまで、この展覧会で展示された作家の作品を写真集などで見たことがあったんですが、どうしても、政治的なテーマということで気負ってしまったんですね。
ところが。ですね。額装されたプリントで見ると、まったく別のものに見えるんですよ。
写真集や、本に引用された図版では見えない、ディテールやトーン。
印画紙という、本来作家が意図したであろう形態で見ると、政治的な主題である、みたいなベールがとりはらわれるんです。
写真集で見るのとはまったく違う、ニュートラルな視点で見ることができる、新鮮な体験でした。
ちなみに、トーンということでいうと、比嘉康雄さんのプリントは、これでもかという暗室のテクニックを駆使した焼きがえげつないな、と感じました。
また1970年代中盤以降に活躍した作家の作品は、いわゆるコンポラ写真という単語で表されるものにも通じる被写体との向き合い方であったり、ドラマチックさを配したトーンであるとか、時代時代ごとの写真表現の流行がありありとわかったのも面白かったですね。
石元泰博写真展
次に、2Fで開催されている、
「生誕100年 石元泰博写真展 生命体としての都市」
の感想なのですが、
もう、圧倒的でしたね。
なにが、というと、クオリティです。
描写の緻密さ。
すみずみまで構成しつくされた画面の作り方。
プリントのトーンの美しさ。
完成しきっている。
石元泰博という写真家の生み出す静謐な、美しい写真を一気に見ることができる展覧会、なのですが……
その完成しきっているということが、あまりにもえげつなく感じてしまったんです。
この動画での順番と同じく、わたしは3Fの琉球弧の写真を見てから、2Fの石元泰博を見たんですが、
落差というか対比というか、ギャップがすごいんですよ。
石元泰博というのは、ドイツのバウハウスの直系にあたる学校を出た人です。
展示でも、モホリ・ナギの影響を受けた作品が出ていましたし、作品の構成も緻密そのものです。
いっぽうで3Fの琉球弧の写真は、石元泰博に比べれば、どの方の作品も荒削りで、被写体も、構成して撮るようなものではないです。
琉球弧の写真と石元泰博をからめて語る
でも、ですね。
石元泰博はアメリカにいて、日本に来たんですよ。
いっぽう、3Fで展示された写真家は沖縄で写真を撮っていた。
沖縄の風景を3Fでこれでもか、と見たあとに2Fの石元泰博の展示室に入ると、最初に出てくるのは、アメリカの都市の風景を、切り詰めた要素で切り取った作品。
この落差にやられました。
沖縄について話をするとき、アメリカという概念はつねにつきまとってきますが、
東京都写真美術館が、この2つの写真展を同時に開催したのは、絶対に狙ってのことだと思います。
会期もまったく一緒です。
本当に、東京都写真美術館の学芸員の方の意図はえげつないです。
えげつないけど、すごいです。
石元泰博がシカゴや東京で写真を撮っていた時期と、今回展示された沖縄の写真家による作品の撮影時期はほぼ重なっていると言って問題ないと思うのですが、それぞれの写真が切り取る世界も、生きている世界も、まったく重なっていないんです。
沖縄の写真家たちが生きる世界を世界1とするなら、石元泰博の生きる世界は世界2。
逆に、石元泰博にとっても、沖縄の写真家たちが生きる世界は自分が生きる世界とは別のものでしょう。
そんな、暴力的なまでのえげつなさをあらわにする。
それが、この2つの展覧会を同時にぶつけてきた、東京都写真美術館のキュレーターの狙いだったのではないでしょうか。
まとめ
というわけで今回は、東京都写真美術館で開催中の2つの展覧会。
琉球弧の写真と、石元泰博写真展について話しました。
どちらも会期は、2020年の11月23日までです。
ぜひセットで見てみると面白いと思います。
どちらから見ることもできるんですが、わたしとしては、琉球弧の写真から見たほうが面白いんじゃないかな、と思います。
今回、地下で開催されている、キヤノン写真新世紀も見てきたので、それも別に動画にしようと思います!
御部スクラでした。