【この記事は動画用脚本をもととしたものです】
みなさんこんにちは。
東京の秋葉原と御徒町の間にある、アーツ千代田3331で開催している、
五島一浩(ごしま かずひろ)「画家の不在」展を見てきました。
この展覧会、写真をどんどん撮ってSNSにUPしてよい、とのことでした。
また、受付で聞いたところ、動画に展示風景の写真を入れて使ってよいと回答をいただけたので、会場風景をバックにして話します。
五島一浩「画家の不在」展
この展覧会、ざっくりいうと、カメラ・オブスクラをテーマにしたインスタレーションの展覧会です。
こういう展示がされています。
カメラ・オブスクラ
わたしの名前、御部スクラといいますけど、このカメラ・オブスクラという器械から取った名前です。
カメラ・オブスクラ(Camera Obscura)というのはラテン語で暗い部屋という意味。
カメラが部屋、オブスクラが暗いを意味します。
↑画像出典 Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Camera_Obscura_box18thCentury.jpg
カメラ・オブスクラというのは、写真を撮る「カメラ」の前身となった器械のこと。
レンズを通った光を、たとえばすりガラスのようなものに焦点を結ぶようにすると、風景が写し出される、というものです。
この写真は会場に置いてあった古いカメラ、アンソニーですね、なのですけど、まさにこれは「カメラ・オブスクラ」そのものです。
このすりガラスをフィルムや写真乾板、デジタルカメラのイメージセンサーに置き換えることで、写真を撮るためのカメラそのものになるわけです。
カメラ・オブスクラを使って、写し出された風景を鉛筆などでなぞると、絵をかんたんに描けた、というような使い方をした、とされています。
でも、なぞるというのは大変なので、自動的に風景が化け学的に記録できないか? というところから、初期の写真、ヘリオグラフィとかダゲレオタイプとかカロタイプの発明が行われたわけですね。
で、今回の展覧会、画家の不在では、風景を写し出す対象が、額に入った白い紙になっています。
そこに、カラーで被写体というかモチーフが写し出される。
まさに、画家がいなくても絵が生み出される。
というわけです。
展覧会会場を出てから気がついたのですが、モチーフとされているものに、古典的に静物画であるとかデッサンで描きがちなものを意図的に選んでいるのですね。
と、難しい説明ばっかりしてしまいましたけど、この展覧会、単に、レンズを撮った像を見るのが美しくて気持ちがいい、それだけでいいと思うんですよ。
カメラ・オブスクラについて以前調べていて、東京外大のサイトに掲載されていた論文をたまたま見つけたのですけど、
18世紀とか、カメラ・オブスクラが絵を描くための実用の道具としてだけでなくて、きれいなキラキラしたものが見られて楽しいという娯楽の道具として使われていたのではないか、と指摘されていました。
本当に、それはあったんじゃないか、と思います。
参考文献
吉本秀之『初期のカメラ・オブスクラの批判的歴史:暗室、玩具、人工眼、写生装置?』
東京外国語大学総合文化研究所 機関紙『総合文化研究』第19号 2016年
http://www.tufs.ac.jp/common/fs/ics/journals/2015ics19/21.%20yoshimoto2015.pdf
レンズを通った光は美しい
レンズを通った光を肉眼で見るのは、本物の風景よりもきれいなことが普通にあります。
それが楽しい。美しい。
それだけでも十分なのかもしれません。
あとは、この展覧会の趣向として、本物の真っ暗な部屋、暗い部屋、カメラ・オブスクラが展示室をひとつ割いてつくられていました。
よく、カメラ・オブスクラの解説で「雨戸の節穴から外の風景が照らし出される」ってありますけど、今の人、そんなもの見たことないと思うんですよね。わたしもないです。
それが、実際に見ることができたのは感動的でした。
背景はそれの写真なのですが、本当に暗いのでブレています。
それから、入口で虫眼鏡が渡されて、壁にある虫眼鏡マークのところにかざすと壁面に像が結ばれる、という体験型の展示もありました。
この展覧会、五島一浩(ごしま かずひろ)「画家の不在」は2020年11月15日で終わってしまったので、ちょっと動画にするのが遅かったのですが、本当にいい展覧会でした。
ぜひ次の作品も見てみたいです。
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