【動画用の台本をほぼそのままUPしたものです】
みなさんこんにちは。
フィルムカメラ系VTuberの御部スクラです。
今回は写真集をレビューする動画です。
レビューするのはインベカヲリ★さんの写真集 『理想の猫じゃない』です。
インベカヲリ★写真集 『理想の猫じゃない』
『理想の猫じゃない』は2018年に赤々舎から出た本ですね。
インベカヲリ★さんですが、名前は知っていたのですが、女性のポートレートを撮る人、というくらいのざっくりした認識しかありませんでした。
きちんと作品を見るのは今回がはじめてです。
さっそく中身を見ていくんですが、ポートレート、なんですが、
まず思ったことは、定型化されていないということなんですよね。
どういうことかというと、ポートレート、とくに女性のポートレートって、特定の文法があるじゃないですか。
いわゆるモデル撮影会とか、コスプレ撮影みたいな。
この写真集はそうじゃないんですよ。
もちろん、そういう文法に沿わない、人間を撮った写真っていうのは、友達同士とか家族とかプライベートな間柄では普通に撮られています。
この写真集に収められた写真は、そういうものに近いんですが、でも作品として成立しています。
わたしがこの写真集を見て思ったのって、うらやましいという気持ちだったんです。
なにが羨ましいかっていうと、撮り手が女性であることが羨ましい。
わたしはこういう女の子の見た目をしていますけど、実際はバ美肉おじさんなのでこういうふうに女性を撮ることはできません。
撮ることができたとしても、撮ろうとした瞬間に権力の勾配みたいなものが生じてしまう。
もちろん、女性同士の人間関係だって対等ではないことはありますけど、でも男性と女性の間に生じるほどの必然性はないと思います。
わたしは本当はこういう感じの写真が撮りたいんだな、と思いました。
機材的な話
話が変わって機材的な内容なんですけど、
この写真集に収録された写真、絞りが開かれているものが多いんです。
レンズの絞りなんですけど、絞りを開いて背景がボケた写真は主観的で感情寄り、絞り込んでパンフォーカスになった写真は客観的で理知的だと思うんですよ。
この写真集が精神を揺さぶってくるのは、絞りが開かれているからなんじゃないかと思います。
人間の眼はパンフォーカスではないということは知られていますが、おそらくは絞りが開かれていることで、視覚的な記憶を呼び起こされているような感覚に陥るんじゃないか。
ということを感じています。
文章と対話
さて、この本はインベカヲリ★さん本人と、62人の女性によるポートレートとことば、が収められた写真集、ということなんですけど、ことば、文章が非常に重要な役割を果たしているんです。
わたし、写真集という先入観があったので、最初文字の部分を完全にスルーして、写真だけ見てたんです。
そうしたら、なんだかどれも写真が非常に悲壮感ただようものに見えてきてしまい、辛くなったんですよね。
ポートレートの被写体になっている人たちが、それぞれの人生にハードな部分を抱えているように見えてきてしまって……。
でも、文章の部分を読んだら、その印象が一気に変わりました。
心が晴れ渡りました。
活字の部分は被写体の人物が語った内容がもとになっているのですが、実際問題としてそれぞれの人生はハードなこともあるんですよ。
精神疾患とか、家族との問題とか。
でも実際に読むと、悲壮感は感じないんです。
おそらくそれは、インベカヲリ★さんと被写体の方たちが対話をしているからだと思うんですね。
わたしが最初、写真だけを見て悲壮感を感じてしまったのは、それだけだと、写真家から被写体に向けて、非対称に力が働いているように見えたからなんです。
カメラって暴力じゃないですか。
相手の見た目、イメージをコントロールしてしまう。
でも、そこに被写体の62人からの言葉が加わったことで、被写体の人たちからインベカヲリ★さんに向かっても、逆方向のコミュニケーションを生じることができているんですね。
写真だけだったら対話にならなかったと思います。
写真と文章の両方があるからこそ、この『理想の猫じゃない』という写真集は対話になることができたんだと思います。
対話すること、一方的ではなく相互に働きかけることというのは、わざわざ指摘するまでもないことじゃないかもしれないですがこんなにも印象を大きく変えるのか、と驚きました。
最後に
というわけで今回は写真集のレビューの動画でした。
今回このインベカヲリ★さんの写真集を選んだのは、YouTuberのハマチャンネルさんから薦められてのチョイスだったのですが、本当にありがとうございました。
今後も写真集とか写真家の話、ぜひしていきたいと思います。
ありがとうございました。
御部スクラでした。