韓国カメラ史年表(暫定) 韓国製フィルムカメラの歴史

KOBICA 35 BC-1

韓国カメラ史年表(暫定)

韓国における光学産業の歴史、韓国製カメラ(主にフィルムカメラ)の歴史についてまとめています。

韓国語から日本語への自動翻訳はそれなりに精度が高いため、自動翻訳した新聞記事をもとに作成しました。

翻訳にはPapago韓国語翻訳を使用しました。

2023年3月追記:佐藤成夫さんによる最新の研究発表

佐藤成夫さん(佐藤評論シリーズの著者)による、その後の研究成果を反映した韓国カメラ史についての発表がYouTubeで公開されています。
2023年3月時点ではこれが一番詳しいです。

アイレスというメーカーの出自など相当深い内容まで踏み込んでいます。

参考文献について

朝鮮日報については、記事ごとのページが存在するため直接リンクを貼っています。

それ以外の新聞についてはNAVERニュースライブラリーへリンクを貼っています。リンク先にある紙面の画像をクリック/タップすると、別画面で紙面の閲覧画面が開きます。

新聞以外については、リンクをクリックすると末尾の参考文献リストに飛びます。

※この年表は佐藤成夫さんの韓国カメラ同人誌に影響を受けて作ったものです。

更新履歴

20220224

亜南精密の大韓光学買収関連、大韓光学KOBICA AE-Fについて加筆

これまでのソースは朝鮮日報中心でしたが、毎日経済新聞(デイリーエコノミー)の記述を追いはじめたところ、かなり相違点や新事実が見つかったので、記述内容はかなり変わる可能性があります。

1958年

GoldStar(金星、のちのLG)設立。1960年代にラジオ、テレビ、冷蔵庫、洗濯機などを製造。(向山、大嶋 2015 p.28)

1962年

朴正煕大統領、「経済発展5カ年計画」を発表し、輸出指向工業化政策を打ち出す。(向山、大嶋 2015 p.26)

1965年

日韓国交正常化。

1966年

9月8日

大韓光学が設立される(大韓貿易振興公社 カメラ輸出戦略 1981 p.115)

1969年

年内

三星電子(サムスン電子)設立。(向山、大嶋 2015 p.28)

朴正煕大統領、「重化学工業化宣言」を行い、重化学工業化を推進。とくに、鉄鋼、石油化学、造船、機械、非鉄金属、電子の6つの産業を戦略産業に指定し、重点的に産業育成を図った。(向山、大嶋 2015 p.26)

10月

大韓光学、マミヤから技術を導入しベリックス35A1型を製作。(京郷新聞19810825 5面)

※10月という製造開始時期については、『カメラ輸出戦略』 1981 p.115の記述によった

1970年

3月18日

同日の京郷新聞4-5面掲載の連名広告に「大韓光学株式会社 代表理事 金相吉」との記載がある。大韓光学設立にあたっては日本からアイレスの前身、ヤルー光学の設立に関わった(日本での通名)金谷相吉氏が招かれており、ほぼ確実に同氏であると思われる。(京郷新聞19700318 4面)
※広告見出しを翻訳すると「EXPO’70で大きな成果を期待しながら… 世界の耳目を集める韓国の発展ぶり!」とあるため、大阪万博へ出展する韓国企業による連名の広告と思われる。

1972年

12月26日

韓国伸栄工業が設立される(大韓貿易振興公社 カメラ輸出戦略 1981 p.115)

1973年

6月

韓国ウエスト電気が設立される(おそらく、松下系のウエスト電気の韓国法人である)(大韓貿易振興公社 カメラ輸出戦略 1981 p.115)

1975年

年内

大韓光学、シャッターを除いた部品を自社技術として完全国産化しKOBICA BC-1の生産に成功。(京郷新聞19810825 5面)

1976~1978年頃

韓国の対日貿易赤字が政治問題となる。(向山、大嶋 2015 p.5)

1976年

年内

大韓光学がカメラを製造開始(朝鮮日報19800712)

大韓光学KOBICA広告 朝鮮日報19780503より朝鮮日報19780503より引用

9月

韓国ウエスト電気がカメラを製造開始(おそらく、松下系のウエスト電気の韓国法人である)(大韓貿易振興公社 カメラ輸出戦略 1981 p.115)

1977年

2月1日

高麗光学が設立される(大韓貿易振興公社 カメラ輸出戦略 1981 p.115)

8月1日

三星精密が設立される(大韓貿易振興公社 カメラ輸出戦略 1981 p.115)

10月15日

オリオン光学(のちの東遠光学)が設立される(大韓貿易振興公社 カメラ輸出戦略 1981 p.115)

1978年

年内

韓国政府、輸入先多辺化(多角化)品目制度を導入。最大貿易赤字国を対象に指定品目の輸入を制限する制度で、事実上の対日輸入制限。(向山、大嶋 2015 p.5)

2月28日

コシナ・コリアが設立(大韓貿易振興公社 カメラ輸出戦略 1981 p.115)

10月

コシナ・コリアがカメラの生産を開始(大韓貿易振興公社 カメラ輸出戦略 1981 p.115)

1979年

3月1日

高麗光学がカメラを生産開始(大韓貿易振興公社 カメラ輸出戦略 1981 p.115)

KOBICA 35 BC-1
KOBICA 35 BC-1

10月

三星精密(サムスン精密)がミノルタと技術提携契約を結び、韓国製としては初めてのEEカメラ(ハイマチックSD)の生産・販売を開始(朝鮮日報19800712)

三星ミノルタハイマチックSD広告 朝鮮日報19791214より朝鮮日報19791214より引用

1979~1980年にかけて

大韓光学の一眼レフ、KOBICA PX-1の機影が広告に現れはじめる。

(※YouTubeの動画(佐藤評論 番外編紹介動画)にいただいたコメントによると、実際には市販に至らなかった可能性が高いとのこと)

大韓光学KOBICA広告 朝鮮日報19790911より朝鮮日報19790911より引用

大韓光学KOBICA広告 朝鮮日報19800213より朝鮮日報19800213より引用

年内

高麗光学が「CF35」という機種でカメラに参入?(朝鮮日報19871208)
20211207 CF35について追記:ペトリでレンズを、ゼニックス工業ボディを製造し韓国でノックダウン生産した機種である可能性?
佐藤成夫さんのTwitter言及
高麗光学LeenonCF35の実機写真
Petri CF35 AUTO-650実機写真
Petri @ WikiのPetri CF35 AUTO-650についてのページ


1979年における1年間のカメラ販売台数 韓国国内製:4万5千台 韓国国外製:23万5千台(主に日本製品)(朝鮮日報19800712)

1980年

3月1日

国際光学工業が設立される(大韓貿易振興公社 カメラ輸出戦略 1981 p.115)

4月

国際光学工業がカメラの生産を開始(大韓貿易振興公社 カメラ輸出戦略 1981 p.115)

韓国伸栄工業がカメラの生産を開始(大韓貿易振興公社 カメラ輸出戦略 1981 p.115)

7月時点

三星精密(サムスン精密)、大韓光学、高麗光学、コシナ·コリアによる販売競争が行われている(朝鮮日報19800712)

10月15日

オリオン光学(のちの東遠光学)がカメラの生産を開始(大韓貿易振興公社 カメラ輸出戦略 1981 p.115)

1981年

年内

1981年に『カメラ輸出戦略』が刊行された時点で、高麗光学は操業を中断している(同書p.115)。

高麗光学が倒産(朝鮮日報19871208)

2月

南大門写真機具商社がスタジオ用カメラの生産を開始(大韓貿易振興公社 カメラ輸出戦略 1981 p.115)

5月

(記事の記述とおりに市販が開始していれば)この月に大韓光学からKOBICA AE-F(フラッシュ内蔵・電子シャッターのコンパクトカメラ)の市販が開始される。(毎日経済新聞1981年5月11日7面)

9月

オリオン光学(1984年に東遠光学に改称)は85~210mm F4.5のズームレンズを開発し、国産1号企業に指定される。(毎日経済新聞19810908 8面)

9月16日

大韓光学の一眼レフカメラ PX-1が毎日経済新聞にて取り上げられる。大韓光学はこの開発に研究費2億ウォン、金型費1億ウォンなど計3億ウォンを投入しており、内国産化率は80%台。(毎日経済新聞19810916 7面)

1982年

年間

1982年時点の韓国国内カメラ総需要は年間30万台(毎日経済新聞19820511 7面)
大韓光学、コニカC35EFPの生産を開始。(毎日経済新聞19820511 7面)

1983年

9月27日

大韓光学、不渡り(朝鮮日報19830929)

11月

亜南精密がマミヤと技術提携を結ぶ(朝鮮日報19831106)

1984年

1月23日

亜南精密が2月よりマミヤMを元とした機種(出典リンク先紙面に画像あり)の販売に入ると報じられる。(毎日経済新聞19840123 8面)

2月16日

オリオン光学が東遠光学に商号を変更(日付については下記の東亜日報19840216記事に記述あり)。
東亜日報19840218によれば、遠洋漁業を事業とする東遠産業に買収されたことによるもの。同じく東亜日報19840218の記事では、旭光学(PENTAX)と技術提携し「最新型自動カメラ」と「高級カメラ」の製造・市販を開始することも報じられている。
(毎日経済新聞19840215 7面)
(東亜日報19840216 2面)
(東亜日報19840218 2面)

3月5日

マミヤが会社更生法に基づく更生手続を開始(外部リンク:Wikipedia マミヤ・デジタル・イメージング)
※亜南精密との提携による製品は販売されたと思われる。朝鮮日報19871208にて亜南精密は1983年からカメラ市場に参入したと触れられているため。(朝鮮日報19871208)

10月23日

ソウル南部警察署は23日、大韓光学(コビカ)元代表の康 太廈(カン·テハ)容疑者(59)を、不正小切手取締り法違反の容疑で拘束。(東亜日報19841023 10面)

1986年

6月

亜南精密、日本光学(ニコン)とカメラ及び部品製造技術提携契約(朝鮮日報19860620)
3年間に6%のロイヤリティを支払う条件で契約を締結、1986年下半期から韓国国内でNew FM2などの上級機と普及機を生産。
亜南とニコンの合弁にあたっては松下グループの支援があった(朝鮮日報19900426)

8月18日

亜南精密が、不渡りで銀行の管理下にあった大韓光学の引き受けへ向け仮契約を締結(毎日経済新聞19860924)

9月

【この項目正しくない可能性あり。毎日経済新聞(デイリーエコノミー)の記述を要確認】
亜南精密が大韓光学を買収。(朝鮮日報19860918)
1983年に倒産した大韓光学は商業銀行により法定管理(日本の銀行更生法に相当)されていた。

10月15日

亜南精密の大韓光学引き受けについて、資金難で進展していないことが毎日経済新聞で報じられる(毎日経済新聞19861015)

12月

この時点で亜南精密がNikon New FM2とFG20を生産、市販を開始している(朝鮮日報19861212)
1986年12月時点で韓国国内製造の一眼レフカメラは他に三星精密(MINOLTA)X-300、東遠光学(PENTAX)ME Superが存在、合計4機種。
ただしこの時点では日本製に使われる主要部品をそのまま輸入・組立生産している段階。
価格
三星MINOLTA X-300:34万6千ウォン
東遠PENTAX ME Super:40万7千ウォン
亜南Nikon FG20:48万4千ウォン
亜南Nikon New FM2:56万2千ウォン

亜南ニコン広告 朝鮮日報19870411より朝鮮日報19870411より引用

三星ミノルタX-300広告 朝鮮日報19840512より朝鮮日報19840512より引用

同じく12月

亜南精密が大韓光学を無理に引き受けたことで不渡り寸前まで追い込まれる(毎日経済新聞19870514)

年内

日本企業との合弁がミノルタとの合弁開始から数えて7年目となった三星精密(三星航空)は、Konica C35EFJがもととなったSAMSUNG Winky10万台を日本など14カ国に輸出。(朝鮮日報19871208)
それまで顕微鏡などを生産してきた東遠光学がペンタックスと提携し、PC35AFM—SE、PINO35Mなどペンタックス製品の国内販売を開始(と記事にはあるが、東遠ペンタックスの広告は1984年から掲載されている。新たにコンパクトカメラも参入という意味か)。(朝鮮日報19871208)

東遠ペンタックス広告 朝鮮日報19840707より朝鮮日報19840707より引用

1987年

2月

三星精密(サムスン精密)が三星航空(サムスン航空)に社名変更(李恵美 2016)
この時点からの「最近」金星精密(のちのLG電子)がCanonと技術提携契約を締結、1987年下半期から生産を開始予定(朝鮮日報19870203)
「日本ランキング1~4位までの企業と提携し、ほとんどがそれらの製品をそのまま韓国で生産している」ことから日本企業の代理戦という批判も発生している。
亜南とニコンがソウルオリンピック公式指定企業に選定されている。

注:なお、Canonはコピー機などのOA機器においてはロッテと提携している。
ロッテCanon コピー機広告 朝鮮日報19871024よりLOTTE Canonのコピー機広告 朝鮮日報19871024より引用

2月5日

同日の毎日経済新聞で、亜南精密が親会社の亜南産業から10億ウォンの支援と重役派遣を受けたことを報じられる。
亜南は前年、大韓光学を無理に引き受けたことで資金難が発生していたとのこと。(毎日経済新聞19870205)

5月前後

亜南産業(亜南精密の親会社)が亜南精密と大韓光学を双方とも買収(毎日経済新聞19870514)

10月

東遠光学がペンタックスP50の販売を開始。なお、ペンタックスP50は日本ではマイナー機種だが、韓国ではヒット機種という扱いだった模様。(朝鮮日報19871208)

東遠ペンタックスP50広告 朝鮮日報19871121より朝鮮日報19871121より引用

年間

カメラ市場の規模は500億ウォン(朝鮮日報19900401)

1988年

4月1日

台湾や香港で製造された、卸値が5万~6万ウォンの「低級輸入カメラ」(直訳ママ、固定焦点の簡易カメラのことか?)の輸入が自由化された(朝鮮日報19890324)

4月19日~

亜南精密に買収された大韓光学のリストラにより、大韓光学系社員による大規模なストが発生。6月上旬時点でも継続。(毎日経済新聞19880607)
(労組側の視点の記事はハンギョレに詳報あり、余裕があれば加筆)

年間

カメラ市場の規模は1000億ウォン(朝鮮日報19900401)

1989年

年間

独自開発した普及型ウィンキーと中級型2種、高級型1種を主力商品として出していた三星航空はこの年から高級機種化に乗り出し、ディスクカメラ(おそらくディスクフィルムのことではない)、電子カメラなど特殊カメラの開発も推進(朝鮮日報19890723)

年初

金星Canon オートボーイを開発、続いて中級機種のGS1とキュート1-2-3シリーズを開発。(開発は直訳ママ)(朝鮮日報19890723)

年初

亜南精密、Nikon FM2(ママ)を開発(直訳ママ)

4月

亜南精密がニコン製品を日本へ逆輸出開始。日本への逆輸出は韓国企業として初めて(朝鮮日報19890723)

5月

亜南精密がNikon TW2Dなど3種の新製品を市販開始(朝鮮日報19890723)

亜南ニコン広告 朝鮮日報19890709より朝鮮日報19890709より引用

9月1日

大宇電子が東ドイツのカール・ツァイス・イエナ製3モデルと、三洋光学が製造した韓国製カメラなど計6種を「ルーキーシリーズ」として販売開始(実際に販売されたかは不明)(朝鮮日報19890903)

下半期

現代電子(オリンパス)、シンドリコー(リコー)が参入(朝鮮日報19900616)

年間

カメラ市場の規模は1500億ウォン(朝鮮日報19900401)

不明

三星ミノルタα-9000が発売(三星ミノルタではなく日本のミノルタが出す広告には1986年から掲載されている)(朝鮮日報19900616)
亜南精密が開発したカード式カメラの特許が出願される(朝鮮日報19910415)

1990年

年初

現代電子がオリンパス製カメラの生産、販売開始予定(1989年9月時点の情報)(朝鮮日報19890903)
三星ミノルタDynax7000i(α-7700i)が発売(朝鮮日報19900616)

2月

亜南精密の羅鼎煥社長(55、当時)が厚さ10ミリ程度の超薄型カメラを開発、最終設計作業を進めており1990年末までに製品化予定。1枚ずつ撮影できるカードフィルムを考案。(朝鮮日報19900224)
クレジットカードに似た大きさの横55ミリ、縦86ミリ、厚さ10ミリ程度の超薄型なのでポケットに入れることができる(朝鮮日報19910415)
亜南精密のカード式カメラ 朝鮮日報19900224より引用亜南精密のカード式カメラ 朝鮮日報19900224より引用
※記事には「1枚ずつ撮影して現像することができる」とあるため、デジタルカメラではなく銀塩カメラである。実質的に35mm判のシートフィルムを使用するカメラである。

このカード式カメラについては日本語で紹介した文献も存在。
『クラシックカメラ専科 No.51 クラシックカメラスペシャル』(1999年、朝日ソノラマ)pp.74-75 金野剛志「韓国で開発していたカード型カメラ」として紹介記事(実機はなく情報のみ)。
同記事によれば『写真工業』1990年2月号で取り上げられているとのこと。

『クラシックカメラ専科 No.51 クラシックカメラスペシャル』(1999年、朝日ソノラマ)pp.74-75 金野剛志「韓国で開発していたカード型カメラ」

4月

この時点で三星航空(ミノルタ)、東遠(ペンタックス)、亜南精密(ニコン)、金星(Canon)、現代電子(オリンパス)、大宇電子(サムヤン)、シンドリコー(リコー)の7社がカメラを販売している。(朝鮮日報19900401)
1990年に入り内需がやや不振気味になっている。カメラ市場の規模は前年まで毎年50~100%成長していたため、各メーカーは1990年の韓国国内販売の目標額を2300億ウォンとしていたが、この時点で実際の市場規模は1800億ウォン、成長率20%に落ち込むことが予測されている。(朝鮮日報19900401)
4月時点の予測で、年間生産台数が400万台を超える見通し、国内市場規模に比べて莫大な供給過剰が予想されている(朝鮮日報19900401)

4月26日

亜南産業が父・金向洙の「亜南産業グループ」と娘婿・羅正煥の「亜南精密グループ」に分離される。(朝鮮日報19900426)
亜南精密グループはこの時点で亜南光学、大韓光学など8つの系列会社を擁し、1990年の売り上げ目標の1千億ウォンのうち半分程度をカメラが占めている。
羅正煥は金星社出身の技術者。カメラに対する情熱から1986年に亜南精密を設立、大韓光学を買収。経営者ながら発明への関心が高く、「カードカメラ」では日本、米国でも特許を取得。

10月

フォトキナに亜南精密が開発したカード式カメラが出品される。(朝鮮日報19910415)

12月

大宇電子はヤシカの38-90mmレンズを搭載したコンパクトカメラ、ズームテック90をOEMにより販売する予定。(朝鮮日報19901224)

大宇電子ヤシカ ZOOMTEC90 朝鮮日報19910402より大宇電子ヤシカ ZOOMTEC90 朝鮮日報19910402より引用

1991年

2月末

亜南精密が開発したカード式カメラに対し、松下電器系列のウエスト電気が合弁生産を正式に要請(朝鮮日報19910415)

亜南精密のカード式カメラ 朝鮮日報19910415より朝鮮日報19910415より引用

7月

精密部品など特定業種の企業が深刻な資金難に陥っている(朝鮮日報19910704)

7月1日

亜南精密が不渡り。(朝鮮日報19910704)

7月2日

亜南精密が3回目の不渡り。(朝鮮日報19910704)

7月3日

亜南精密が韓国投資金融で手形保証を再び行い、かろうじて最終不渡りを免れる。(朝鮮日報19910704)
亜南精密はカメラ内需と輸出不振に加え、経営陣の資金管理不足で三星、金星などライバル企業との資金競争で遅れを取り、深刻な資金難に陥っていた。銀行に業種転換する韓国投資金融が担保確保のため、亜南精密社長 羅正煥の義父である亜南産業社長 金向洙の保証を求めたため解決が遅れた。

7月5日

亜南精密と亜南産業との買収交渉が物別れに終わったため、亜南精密の取引銀行は3回目の不渡りを出して手形交換所に回付。義父金会長の家族と娘婿の羅会長間の経営紛糾が資金難の一原因になったという分析もあるが、亜南産業側はこれを否認している。(朝鮮日報19910704)
亜南産業は亜南精密の買収を公式に否認(朝鮮日報19910707)
羅副会長は「業務提携をしていた日本のニコン社から1989年に亜南側から作ったニコンカメラ以外の商品もニコン販売網を通じて販売するという提案があり、レミックスというカメラを作ったが、実際に輸出しようとする段階で変更して3百億ウォン分の在庫が増え、内需販売は輸出とは違って手形決済期間が長く、資金繰りに困難をきたした」と話した。(朝鮮日報19910707)
業界では、特許開発した無中毒無煙炭とカード式カメラの生産のために巨額の資金を投資したことも資金難を加速させた原因であり、技術者出身の羅副会長が資金管理を疎かにしたのではないかという分析も出ている。(朝鮮日報19910707)

1992年

2月11日

三洋光学(サムヤン光学)が資金難および経営悪化で本社所在地の馬山地方裁判所に法廷管理を申請(日本の会社更生法に当たる)を申請(朝鮮日報19920218)

2月15日

三洋光学(サムヤン光学)が裁判所から財産保全処分命令を受ける(朝鮮日報19920218)

3月16日

亜南精密の経営難についての記事「亜南精密 資金難の暗礁に乗り上げるか「発明家夢」座礁 エンジニア創業者「見せ場」「過速」
世界初の「カードカメラ」、最後まで見果てぬ光」(朝鮮日報19920316)

亜南精密 資金難の暗礁に乗り上げるか 朝鮮日報19920316より朝鮮日報19920316より引用

4月

この月より亜南精密が操業を中断。(朝鮮日報19930411)

7月

亜南産業(亜南精密ではない)がニコンと光学産業に関する技術提携に合意する一方、グループ内に光学産業本部(鄭憲泰社長)を新設。(朝鮮日報19920720)

年内

金星(のちのLG電子)はCanonとの関係を整理しカメラ生産ラインを現代電子に売却(朝鮮日報19970516)

1993年

3月29日

亜南精密が裁判所に破産を申請。この時点で亜南精密の『ニコン』カメラ事業は亜南産業にすでに譲渡されている。(朝鮮日報19930411)

5月24日

三星航空が中国最大のカメラメーカー、天津カメラ社(直訳ママ)と合弁会社の設立契約を結ぶ。双方はそれぞれ5百万ドルずつ出資、中国天津に年産100万台規模の工場を建設、94年末に工場が完成すれば、三星側が資材や生産技術、設備などを提供し、3-4種の自動カメラを現地生産する計画。(朝鮮日報19930525)

12月6日

三星航空が中国最大のカメラメーカー、天津造像機公社(直訳ママ)と年産100万台規模の合資会社を設立すると報じられる。サムスン側は55%の株式で参加し、生産技術、設備、資材を提供し、中国側はサムスン側に対する技術料負担と生産人員を担当。(朝鮮日報19931209)

1995年

12月15日

三星航空がデジタルスチルカメラを韓国で初めて独自開発、1996年下半期から本格市販に入ると発表。(朝鮮日報19951216)

サムスン初のデジタルスチルカメラ 朝鮮日報19951216より朝鮮日報19951216より引用

1996年

2月28日

三星航空はカメラの全ブランドをKENOXに統一すると発表。ケノックスは「KEN(より、知る)」と「NOVELTY(不思議でユニーク)」、「EXCELLENT(すばらしい)」などを合成した造語。(朝鮮日報19960229)

1997年

アジア通貨危機

4月30日

大宇電子はヤシカと協力して行っていたカメラ事業を整理(朝鮮日報19970516)

5月

現代電子は赤字増加のため、カメラ事業撤退を内部決定している(朝鮮日報19970516)

5月16日

三星航空のカメラ「KENOX」が韓国製カメラとしては唯一好調。朝鮮日報に特集記事。(朝鮮日報19970516)
「三星航空が善戦する第一の理由は、日本のライバル製品との正面対決を避け、隙間市場に食い込んだため。日本のメーカーが新規格カメラ(APS)やデジタルカメラに集中する時、三星航空は一般人が簡単に接近できるズームカメラ市場に食い込んだ。その結果、145ミリにまでレンズが拡大する4倍ズーム製品を日本よりも早く開発し、韓国内外の市場シェアを高めた」
(筆者注:日本企業がAPSやデジタルカメラに気を取られている隙に35mmズームコンパクトカメラに進出したということか)

8月12日

三星航空が韓国企業としては初めて、高級カメラである一眼レフカメラを独自開発、国内外市場に発売(朝鮮日報19970813)
※GX-1のこと

Samsung KENOX GX-1 朝鮮日報19970813より朝鮮日報19970813より引用

11月

IMFとの金融安定化交渉を行った際に、韓国政府は輸入先多辺化制度の早期廃止を確約した。(朝鮮日報19990602)

12月

IMFによる韓国経済救済が決定

1998年

10月

朝鮮日報19981007で、亜南ニコンではなく日本のニコンが直接販売する製品の広告が掲載される。
ニコン広告 朝鮮日報19981007

1999年

日本製の35mm高級カメラの直輸入が1999年より解禁される。(朝鮮日報19981007)

6月末

輸入先多辺化制度が6月末に完全廃止される。(朝鮮日報19990602)
輸入先多辺化制度とは自動車・電子製品・機械などの一部の産業部門において日本製品の輸入を禁止する制度で、韓国政府は97年11月にIMFと金融安定化交渉を行った際、これを早期廃止することを約束した。

10~11月

朝鮮日報の広告では亜南ニコンの広告は1997年10月を最後に途切れていたが、1999年10~11月にかけてF90系やF801系などの旧機種の広告が掲載される。旧機種の在庫を販売するためか。(朝鮮日報1999100210301109
亜南ニコンの広告19991002朝鮮日報19991002より引用
亜南ニコンの広告19991030朝鮮日報19991030より引用
亜南ニコンの広告19991109朝鮮日報19991109より引用

参考文献

朝鮮日報 ニュースライブラリー
https://newslibrary.chosun.com/

NAVER ニュースライブラリー
https://newslibrary.naver.com/search/searchByKeyword.naver

『취약경공업제품 수출증대방안조사 카메라 輸出戰略』(『脆弱軽工業製品輸出増大方案調査 カメラ 輸出戦略』)1981年、大韓貿易振興公社
※リンク先は韓国国立図書館。p.115(pdfのページ数はp.116)に刊行当時における韓国国内の光学関連企業一覧がある。漢字ハングル混じり文のため、翻訳しなくてもある程度内容を読み取ることが可能。
https://www.nl.go.kr/NL/contents/search.do?isMobile=false&innerYn=false#viewKey=CNTS-00113822986&viewType=C

李恵美「サムスングループの形成と成長における日本からの影響―1938 年から 1987 年までの期間を対象に―」国際日本研究 Vol. 8, March 2016, pp. 125-144
http://japan.tsukuba.ac.jp/research/JIAJS8_ON1_Lee.pdf

向山英彦 大嶋秀雄「グローバル化で変化する日韓経済関係―自動車、電子産業を例に―」環太平洋ビジネス情報 RIM 2015 Vol.15 No.57 pp.1-45
https://www.jri.co.jp/MediaLibrary/file/report/rim/pdf/8160.pdf

簡単に感想

韓国のカメラ業界にとって、1980年代後半がもっとも劇的で勢いがある時代だったのだろうと思いました。

日本のカメラでいえば1950年代。
ほかには、中国製のAndroid機にとっての2010年代前半がそういう時代だったかもしれません。

あとの時代から見返すと、亜南精密という会社の栄枯盛衰が興味深く感じます。
カード式カメラというアイデアも含めて。

メモ:固有名詞など

카메라 カメラ
필카 ピルカ(フィルムカメラの略)

대한광학 大韓光学
코비카 コビカ

아남정밀 亜南精密
니콘 ニコン
Lemix 레믹스

동원광학 東遠光学
펜탁스 ペンタックス

삼성정밀 三星精密(サムスン)
삼성항공 三星航空
미놀타 ミノルタ

케녹스 KENOX

대우전자 大宇電子
칼자이스제나 カール・ツァイス・イエナ
삼양광학 サムヤン光学

シンドリコー 신도리코

고여광학 高麗光学

금성정밀 金星精密
캐논 キヤノン

후지필름 富士フイルム

以下は韓国で販売された感材について調べたときに出てきた固有名詞ですが詳細不明。

대한사진필름 大韓写真フィルム
새한 セハン
스리쎄븐 スリーセブン
현대 現代