LYRA SIX(ライラシックス)III型&富士光学の歴史と所在地のお話

LYRA SIX(ライラシックス)III型&富士光学の歴史と所在地のお話

みなさんこんにちは。
フィルムカメラ系VTuberの御部スクラです。

今回は富士光学のスプリングカメラ、ライラシックスを紹介します。

ライラシックスIII型 外観とスペック

ライラシックスIII型

ライラシックスIII型

ライラシックスIII型

ライラシックスIII型

ライラシックスIII型

ライラシックスIII型

ライラシックスIII型

ライラシックスIII型

レンズ:Fuji-ko Anastigmat Terionar 75mm F4.5
シャッター:FUJIKO B型 T、B、1/5秒~1/250秒
巻き上げ:ノブ、赤窓式
カウンター:赤窓を使用
フォーカシング:前玉回転、目測
ファインダー:逆ガリレオ式
フィルム装填:蝶番による裏蓋開閉
使用フィルム:120フィルム
発売年:1939年頃(広告掲載時期)[1]『昭和10~40年 広告にみる国産カメラの歴史』1994年、朝日新聞社、p.342
製造元:富士光学

今回のライラシックス

ライラシックスIII型

このライラシックスはレンズがTerionar 75mm F4.5で、シャッターはFUJIKO銘の1/5秒から1/250秒までのものがついています。
『クラシックカメラ専科No.8 スプリングカメラ』のp.80によれば、このライラシックスはIII型のようですね[2]『クラシックカメラ専科No.8 スプリングカメラ』1986年、朝日ソノラマ、p.80

値段ですがこのスペックのものは『アサヒカメラ 1939年8月号』の広告によると74円だったとのことです[3]『昭和10~40年 広告にみる国産カメラの歴史』1994年、朝日新聞社、p.101

さて、いろいろなところでいわれていることですが、このライラシックスというカメラの製造元、富士光学は富士フイルムとはまったく無関係の会社です。
今回の動画では後半で、富士光学についても触れていきたいと思います。

ライラシックスIII型について

ではまずは、ライラシックスIII型がどんなカメラなのか見ていきましょう。

ボディレリーズ

ライラシックスIII型は、ZEISS IKONのイコンタシックスのコピーです。

ライラシックスIII型

さきほども参考文献に挙げた『クラシックカメラ専科No.8 スプリングカメラ』によるとひとつ前のライラシックスII型はボディの際の独自の位置にボディレリーズがあったのですが、このIII型ではボディ右手側、一般的な位置に移動しています。

ボディレリーズ

シャッター

シャッターは最初に話したようにFUJIKO銘のT、Bと1/5秒~1/250秒までのもの。

FUJIKO B型シャッター

このシャッターはFUJIKO B型シャッターという名前らしいです[4]『クラシックカメラ専科No.8 スプリングカメラ』1986年、朝日ソノラマ、p.80
FUJIKO A型はスローが1秒までついているとのことです。

レンズ

レンズはTerionar 75mm F4.5。

Terionar 75mm F4.5

3群3枚のトリプレットで、ピント合わせは前玉回転です。

このライラシックスIII型にはほかに、グレードの高い75mm F3.5付きもあります[5]『クラシックカメラ専科No.8 スプリングカメラ』1986年、朝日ソノラマ、p.80

ファインダー

ファインダーはイコンタシックス同様、折り畳み式の逆ガリレオ式ファインダーです。

折り畳み式の逆ガリレオ式ファインダー

本来は前蓋に連動して開くはずなのですが、このライラシックスはその部分が破損していて、手で開く必要があります。

巻き上げ

この年代のスプリングカメラということでボディ本体とシャッターの連動はボディレリーズのみで、多重露光防止はもちろんありません。
巻き止めもなく巻き上げは赤窓式です。

赤窓式

状態は非常に悪い

さて。

このライラシックスなのですが、見ての通り状態は相当悪いです。

鉄製の部分が錆びているのもそうですし、貼り革もかなり剝がれています。

蛇腹こそ一応生きているのですが、さきほどのファインダー周りなど欠品しているパーツもあるので、このライラシックスについては分解や蛇腹交換を行わず、そのままにしておくことにしました。

ただしレンズのみ清掃してピントを出しなおしました。

作例

それでは、このカメラでどんな写真が撮れるのか見ていきましょう。

使用フィルムは上海GP3 100で、Parodinalで現像しました。

今回撮影に行ったのは、東武東上線の下板橋駅付近です。

ライラシックスIII型 作例

このあと動画で話すのですが、富士光学というメーカーは現在の下板橋駅の近くにありました。
そこで、フィルム1本分だけではあるのですが、当時富士光学があったあたりで撮影することにしたのでした。

ライラシックスIII型 作例

で、写りなのですが、はっきりいって悪いです。
これ、レンズを清掃したときに裏返しに入れたりしてないよね? と思うのですが、こんなものだという可能性が高いです。

ライラシックスIII型 作例

ライラシックスIII型 作例

ライラシックスIII型 作例

あとそもそも、前板の並行がちゃんと出ていないという可能性もあります。
欠品している部品があったり、素人仕事で補修されていたりなど、戦後なんとかこのカメラを使おうと補修されてきた可能性も高いと思うのですよね。

ライラシックスIII型 作例

そもそも富士光学のカメラの作りがそれなりだ、というのもあるのですが、そういう時代をくぐり抜けてきたカメラであるのも、このカメラがここまで状態が悪い理由なんじゃないかと思います。

この東武東上線の線路の写真がいちばん写りがよかったカットです。

ライラシックスIII型 作例

この写真を撮ったのは冬の午後で、だいぶ日差しが傾いていました。
このカットは日差しが斜め横から差し込んでくれているのでいい感じに写ってくれたというのもあるのだと思います。

電車も撮りましたが派手にブレてしまいました。

ライラシックスIII型 作例

ライラシックスIII型 作例

ということで、かなり満身創痍のカメラではあったのですが一応はこういうふうに写るよ、という作例でした。

ライラシックスIII型 作例

富士光学について

さて。

ここからは富士光学というメーカーについて簡単な紹介と、関連する文献について話していきたいと思います。

富士光学とはどんなメーカー?

まず前提として、最初にも話したように富士光学は富士フイルムとは無関係なメーカーです。

戦前、日本製カメラメーカーのなかで富士光学の存在感はなかなかに大きかったようで、以前、『昭和期の写真業界』(日本写真興業通信社、1971)という本の年表を見たときは、戦前のさまざまな項目に富士光学の名前を見ることができました。

戦前の略史

2020年に板橋区立郷土資料館で開催された「板橋と光学Vol.3」の図録に萩谷剛先生が書いた文章によると、

「板橋と光学Vol.3」の図録

設立は1916年。豊島区西巣鴨に「勝間光学器械製作所」として設立されました[6]萩谷剛「富士光学器械製作所」『板橋と光学 vol.3 図録』2020年、板橋区立郷土資料館、p.94

その後服部時計店(のちのセイコー)の下請けとして東京光学(のちのトプコン)と合併したとのことです。

ですがその後東京光学から分離し、1934年に富士光学器械製作所に名前を変更、のちに富士光学工業に社名を変更します。

その後富士光学は終戦直前の1945年6月に全工場を焼失してしまいます。

戦後の傍系メーカー 大成光機ほか

戦後の富士光学ですが、いろいろと事情が込み入っているようです。

富士光学の系統のメーカーというのはいろいろあったようで、1980年代後半のカメラコレクターズニュースをみると、そのあたりの事情が徐々に解明されていく流れが見えて面白いんですよ。

まず戦後、四畳半カメラくらいの時代に富士光学の再来とされたメーカーに、ウェルミーというブランドで知られる大成光機があります。

ウェルミーというブランドで知られる大成光機

今回紹介したライラシックスのレンズはTerionarという名前でしたが、ウェルミーのカメラにもテリオナーというレンズがついていました。

ウェルミーシックスにもライラと同じTerionarというレンズがついていた

また大成光機には富士光学出身者が関わっていたということです。
そのため1980年代後半まで、ウェルミーが大成光機の後身と信じられていたらしいのですが――CCN1988年4月号掲載の古川保男「大成光機は富士光学の後身ではない」で反駁されています[7]古川保男「大成光機は富士光学の後身ではない」『カメラコレクターズニュース 1988年4月号』カメラコレクターズニュース社、p.70

カメラコレクターズニュース 1988年4月号

カメラコレクターズニュース 1988年4月号

大成光機・ウェルミーは富士光学の流れを汲んだメーカーではあるものの、富士光学直系のメーカーではないらしいです。

また、『板橋と光学Vol.3』の萩谷剛先生の文章には、そのほかにライラ・カツマブランドでスプリングカメラと二眼レフを販売した勝間光学工業という会社もあったと書かれています。
ただわたしの手元にある資料では、そのメーカーについてはそれ以上詳しくわかりませんでした。

直系メーカー 勝間光学機械

では、富士光学の直系の後身となったメーカーは、というと、勝間光学機械がそれにあたります。

戦後、双眼鏡で有名になった勝間光学機械というメーカーがありました。
富士光学の最初の社名は勝間光学器械製作所でしたが、それと同じ名前ですね。
『板橋と光学Vol.3』掲載の萩谷剛先生の文章、それからCCN 1999年6月号掲載の菅原博 『ウエルミーカメラ顛末記(上)』p.2によると、

カメラコレクターズニュース1999年6月号

戦後、富士光学の勝間氏が興した会社が、双眼鏡の勝間光学だったようです[8]萩谷剛「富士光学器械製作所」『板橋と光学 vol.3 図録』2020年、板橋区立郷土資料館、p.94[9]菅原博「ウエルミーカメラ顛末記(上)」『カメラコレクターズニュース1999年6月号』カメラコレクターズニュース社、p.1
ただし、勝間光学(勝間光学機械)は近年まで存在していたのですが2019年に倒産してしまっています[10]東京商工リサーチより TSR速報(大型倒産情報・注目企業動向)「勝間光学機械(株) : … Continue reading
なんと、更新は止まっているもののTwitterのアカウントも現存しています。

富士光学・勝間光学のあった場所

それから、富士光学のあった場所、というか富士光学の第一工場があった場所なのですが、古川保男『大成光機は富士光学の後進ではない』によると豊島区池袋6-1981です。
この場所は戦後にも勝間光学の所在地となっています。

豊島区郷土資料館が出している1932年時点の地図の復刻版[11]豊島区立郷土資料館編『豊島区地域地図第4集』より「東京近傍1万分1地形図 1929(昭和4)年第3回修正 … Continue readingに1979番と1983番の地番が載っているので、場所はおそらくそのあたりだと思うのですが、このとおり、東武東上線の線路の近くです。

「東京近傍1万分1地形図 1929(昭和4)年第3回修正 1932(昭和7)年加刷修正」より

当時の地図だと北池袋駅と下板橋駅の間になっています。

ただ、ソースはWikipediaなのですが下板橋駅は1935年に移転したらしく[12]「下板橋駅 – Wikipedia」(2022年12月26日閲覧)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E6%9D%BF%E6%A9%8B%E9%A7%85
、この地図に載っているのは旧所在地です。
この場所は現在は完全に下板橋の駅前になっています。

富士光学・勝間光学のあった場所

豊島区というか池袋、戦後のある時期までけっこう光学産業と縁があったようで、あんまりそのあたり研究されていないので、誰か調べてほしいですね。

まとめ

ということでライラシックスと富士光学についての内容でした。

今回のライラシックスについては正直状態が悪すぎたのですが、単純に撮影できてよかったな、と思います。

富士光学というメーカーについての内容はマニアックすぎるきらいもあるとは思ったのですが、こういうの、残していかないと残らないのであえて触れてみました。
興味がある方はCCNのバックナンバーや「板橋と光学」の図録もぜひ読んでみてください。

ありがとうございました。
御部スクラでした。

脚注

脚注
1 『昭和10~40年 広告にみる国産カメラの歴史』1994年、朝日新聞社、p.342
2, 4, 5 『クラシックカメラ専科No.8 スプリングカメラ』1986年、朝日ソノラマ、p.80
3 『昭和10~40年 広告にみる国産カメラの歴史』1994年、朝日新聞社、p.101
6, 8 萩谷剛「富士光学器械製作所」『板橋と光学 vol.3 図録』2020年、板橋区立郷土資料館、p.94
7 古川保男「大成光機は富士光学の後身ではない」『カメラコレクターズニュース 1988年4月号』カメラコレクターズニュース社、p.70
9 菅原博「ウエルミーカメラ顛末記(上)」『カメラコレクターズニュース1999年6月号』カメラコレクターズニュース社、p.1
10 東京商工リサーチより TSR速報(大型倒産情報・注目企業動向)「勝間光学機械(株) : 東京商工リサーチ」(2022年12月27日閲覧)
https://www.tsr-net.co.jp/news/tsr/20190206_03.html
11 豊島区立郷土資料館編『豊島区地域地図第4集』より「東京近傍1万分1地形図 1929(昭和4)年第3回修正 1932(昭和7)年加刷修正」1991年、2011年改訂、豊島区立郷土資料館
12 「下板橋駅 – Wikipedia」(2022年12月26日閲覧)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E6%9D%BF%E6%A9%8B%E9%A7%85