みなさんこんにちは。
フィルムカメラ系VTuberの御部スクラです。
今回は日本のアイレスの二眼レフカメラ、アイレスフレックスについて紹介します。
Contents
Airesflex YIII
Airesflex YIII 外観とスペック
レンズ:Excelsior(エクセルシア)7.5cm F3.5
シャッター:WESTER B、1秒~1/200秒
巻き上げ:ノブ巻き上げ、自動巻き止め
カウンター:手動リセット
フォーカシング:ノブによる前板繰り出し
ファインダー:ウエストレベル、すりガラスのみ
フィルム装填:スタートマーク式
使用フィルム:120フィルム
発売年:1951年
発売時価格:23,000円(クラシックカメラ専科No.22 p.9)
製造元:アイレス写真機製作所
※参考文献は次節末尾
Airesflex YIIIについて
アイレスフレックスにはさまざまな種類があるのですが『クラシックカメラ専科 No.22 アイレスのすべて』および『クラシックカメラ No.23』にある前号訂正によると、
銘板が浮き出し文字になっていて、レンズがエクセルシア、シャッターがWESTERという組み合わせなので、このカメラはアイレスフレックスYIII型のようです。
同誌によれば、アイレスフレックスという二眼レフカメラの最初の機種、Y型の発表・発売が1950年。
YII型が1951年3月頃に出て、このYIII型は名前の通り3番目の機種で、1951年9月頃発売ということです。
さて、タイトルに書いたように、このアイレスフレックスの購入価格、なんと500円のジャンクだったんです。
かなり満身創痍の状態で、パーツ欠品もあるし、各部の部品が使い込まれてガタも出ていました。
ひとまず撮影できなくもない状態にはできたので動画にすることにしたのでした。
参考文献
『クラシックカメラ専科 No.22 アイレスのすべて』1992年、朝日ソノラマ p.9
『クラシックカメラ専科 No.23 名レンズを探せ!!/トプコン35mmレンズシャッター一眼レフの系譜』1992年、朝日ソノラマ、p.127(前号の訂正記事あり)
Auto Amazon Links: プロダクトが見つかりません。
Auto Amazon Links: プロダクトが見つかりません。
No.23には谷村吉彦 「アイレスカメラ補遺」と前号訂正が掲載されています。アイレスについてクラシックカメラ専科を参考にする場合、上記の2冊をセットで読まないといけないようです。
紙の書籍の難しいところですね。
年代を考えればそこそこのつくり
全体的なつくりとしては、とても一般的なローライコードコピーです。
フィルム装填はスタートマーク式で、自動巻き止めがついています。
多重露光を防止する機構はなく、シャッターと巻き上げは連動していません。
赤窓式ではないということで比較的高級な機構を持ってはいるのですが、1951年という時期もあってつくりはそこそこです。
各部にお金がかかっている感じはあるのですが、まだまだ品質は発展途上という感じですね。
1954年や1955年になると廉価な二眼レフやスプリングカメラはどのメーカーも精度がとても良くなるので、このあたり、1950年代前半の数年間で日本製カメラのレベルというのがぐっと上がっていったのを実感するところです。
それでも、このアイレスフレックスYIII型は、たとえば重量感のあるピントノブであるとか、レンズ周りの金属の飾りリングなど各部の質感はかなりよいです。
アイレスという中堅メーカーの面目躍如というところで、さすが、やっるぅ!と思いました。
シャッターのつくりはよくない
レンズシャッターはWESTERの1/200秒までのものです。
WESTER、つまり西田光学が作ったシャッターユニットですが、こちらについては明確に、作りが悪いといえます。
廉価な機種につくレンズシャッターというとNKS(日本光測機)やRECTUS(富士精密)が多い印象で、その2つもけっして作りはよくないのですが、このWESTERのシャッターは、開けてみた印象としてはNKSやRECTUSよりさらに作りが劣ると感じました。
今回、中を開けたものの調子が悪く、わたしの技術が足りないのが原因なのですが組み立てた後、再びスローが止まるようになってしまいました。
その後のアイレスフレックスのシャッターはセイコーかコパルになりますし、『クラシックカメラ専科 No.22 アイレスのすべて』によると、このYIII型でも1952~1953年になるとコパル製のシャッターがついたものも出てくるらしいので、アイレスとしてもこのシャッターの品質がよくないは認識していたのではないでしょうか。
ピントルーペを補修
ファインダーは普通のすりガラスです。
ですが、以前動画で紹介した百均のスマホ拡大鏡を使って簡易的にフレネルレンズを入れています。
それでなのですが、このカメラが500円だった最大の要因が、ファインダーのルーペが欠品していたことだったんですよね。
実は購入時に気が付かず、家に帰ってからルーペがないことに気づいたんです。
そこで、なんとかしてルーペを代用しようとした結果、こういう感じになりました。
見た目は悪いですが、とりあえずファインダーを拡大して見ることができるようにはなりました。
材料は、枠のプラスチックが百均のスマホ拡大鏡の余り部品。
レンズはハードオフで100円で買った、スマホを入れて使う3Dゴーグルから取り出したレンズです。
レンズはいろいろ試したのですが、二眼レフのピントルーペに使うなら3Dゴーグルのレンズがいちばん向いているようです。
昔の雑誌の『カメラGET!』とかにありそうな非常に安っぽい補修なのですが、ひとまず、どこかでジャンクの部品が手に入るまでこの状態でいってみようと思います。
レンズ
レンズはテイクレンズもビューレンズもExcelsior(エクセルシア)7.5cm F3.5です。
レンズ名の綴りはエクセルシオールなのですが、初期のアイレスのレンズは「エクセルシア」と読むのが慣用になっているようですね。
普通に3群3枚のトリプレットです。
アイレスがあった場所に行ってきた
今回、せっかくなのでアイレスの工場があった場所に行ってきました。
創業時の所在地(高田馬場)
まずは創業時の所在地です。
当時の広告によると、アイレスがもともとあった場所は東京都豊島区高田南町3-797でした。
現在は住居表示が行われていてこの地番は使われていないので、少し年代を遡るのですが地番が書かれている1932年の地図を見ると……
このように、豊島区とはいいますが、新宿区との境目で、ほとんど高田馬場です。
地図をもう少し詳しく見てみると……
「東京近傍1万分1地形図」(1929年第3回修正 1932年加刷修正)を見てみると、
地番には796と799しかなく「高田南町3-797」自体は載っていませんが、地番の並び方から797だけが離れた場所にあることは考えにくいでしょう。
現在とは神田川の流路が異なっており新目白通りもありませんが、それ以外の路地の形はそのまま残っているためこの場所と推定できます。
※神田川の現流路の書き込みはだいたいの位置です。また、Wikipediaによると下落合駅は1930年移転となっているため、この地図左上に記載されているのは旧所在地だと思われます。
では現地へ行ってみましょう。
つきました。
アイレス旧所在地
で、フィルムで撮ってみました。
この場所は、いまは科研製薬という製薬会社の社屋(関東支店)になっています。
現在の住所だと、東京都豊島区高田3-12-10という場所です。
この節の出典
地番の書かれた地図:豊島区立郷土資料館 編『豊島区地域地図第4集』1991年刊、2011年改訂より「東京近傍1万分1地形図」(1929年第3回修正 1932年加刷修正)
当時の地番:アサヒカメラ編 『昭和10~40年 広告にみる国産カメラの歴史』 1994年、朝日新聞社、p.113
移転後の所在地(歌舞伎町)
さて、アイレスはそのあと、この工場を火災で焼失してしまい移転したことも知られています。
(1956年2月に火災、同年7月に新社屋落成とのこと)
こちらの移転先を探すのはとても簡単で「古地図 with MapFan」というWebサイトですぐ見つかります。
二次利用NGということなので画像は貼れないのですが、場所は歌舞伎町。
現在は駐車場になっています。
そこに行って撮影した写真がこれです。
奥にAPAホテルと東横インがありますね。
下はアイレスフレックスで撮った写真ではないのですが、2020年に別の角度からこの場所を撮ったカラーの写真です。
2021年6月 Praktica MTL5B + Tessar 50mm F2.8で撮影
具体的な場所と地図
移転後の所在地は、現在の住所だと東京都新宿区歌舞伎町2-20-2付近。
当時の地番は東京都新宿区西大久保1-437です。
上記の場所を古地図 with MapFanの「昭和」表示で見ると、アイレス写真機と書いてあります。
とまあ、アイレスがあった場所に行ってきた、という話でした。
この節の出典
火災について:『クラシックカメラ専科 No.22 アイレスのすべて』1992年、朝日ソノラマ、pp.6-7
当時の地番:アサヒカメラ編 『昭和10~40年 広告にみる国産カメラの歴史』 1994年、朝日新聞社、p.217
撮影した写真
そのほかの写真も見ていきます。
今回の使用フィルムはFomapan 200です。
(現像データ:Parodinal 1:50 20℃ 10min)
Auto Amazon Links: プロダクトが見つかりません。
いちょうの葉っぱですが、500円で買ったカメラにしては、それなりにピントがきているという印象ですね。
やっぱり二眼レフ、安価にピントを出すにはとても優れた構造です。
これは新宿の花園神社の入り口。
なんというか、1950年代初頭のカメラっぽさ満点の写りですね。
このカットは、ちょっと今回ネガにトラブルがあってブツブツ斑点が出てしまったのですが、こちらも近距離での撮影です。
電柱のピントがあった場所はけっこうキリっと写っているのではないでしょうか。
最後に、多少絞って順光気味の被写体。
今回、レンズのコーティングは劣化しているのですが、空のような強い明かりがないとこうやって切れ味良く写ってくれますね。
まとめ
ということで、アイレスフレックスYIII型のお話でした。
アイレスのカメラについては佐倉かゑでさんという方が同人誌を何冊も出していて、
わたしもTwitterでアイレス35をおすすめされたことがあるのですが、初めて取り上げるのがこんな満身創痍のジャンクになってしまったので、ちょっと申し訳なく思います。
今後、アイレス35や他のアイレスフレックスもぜひ使ってみたいと思うので、ぜひよろしくお願いします。
佐倉かゑでさんのサークル「Studio Zugvogel」公式Webサイト
https://sonowheels.wixsite.com/madosono
今回のYIII型は、ここまでいろいろいじってしまったので、シャッターを再整備したり、さすがにボロボロすぎる貼り革を貼り替えたり、もう少し手を加えてあげたいですね。
ありがとうございました。
御部スクラでした。
おまけ 各部機影
Twitterにて佐倉かゑでさんより、このアイレスフレックスYIIIは1953年以降の改良されたノブ形状を持っていると指摘をいただきました。
珍しいタイプとのことですので、各部の機影写真を撮りなおしました。
画像クリック・タップで拡大