みなさんこんにちは。
フィルムカメラ系VTuberの御部スクラです。
今回は、韓国製のフィルムカメラ。
KOBICA 35 BC-1について話します。
【2023年3月追記:佐藤成夫さんによる最新の研究発表】
佐藤成夫さん(佐藤評論シリーズの著者)による、その後の研究成果を反映した韓国カメラ史についての発表がYouTubeで公開されています。
2023年3月時点ではこれが一番詳しいです。
アイレスというメーカーの出自など相当深い内容まで踏み込んでいます。
Contents
KOBICA 35 BC-1 外観とスペック
レンズ:KOREA OPTICAL TESSAR LENS 40mm F2.8
シャッター:COPAL 1秒~1/500秒&Bulb
巻き上げ:レバー1回巻き上げ(分割不可、予備角なし わずかに予備角あり)
カウンター:順算式、裏蓋開閉で自動リセット
フォーカシング:連動距離計を内蔵、前玉回転
ファインダー:採光式ブライトフレーム(近接指標のみ)
フィルム装填:蝶番による裏蓋開閉
使用フィルム:35mmフィルム
寸法:幅 134mm
高さ 84mm
奥行 566mm
重量:約586g(実測586.4g)
発売年:1976年
価格:55,000ウォン(1978年)[1]朝鮮日報1978年5月3日 7面 掲載広告より
https://newslibrary.chosun.com/view/article_view.html?id=1755919780503m10728&set_date=19780503(2021年12月30日閲覧)[2]1978年当時のレートは1$=200円前後、480韓国ウォン(韓国ウォンは当時固定レート)
製造元:大韓光学(대한광학,Korea Optical)
KOBICA 35 BC-1について
KOBICA 35 BC-1は、韓国のカメラメーカー、大韓光学が1976年に発売したフィルムカメラです。
価格は、1978年の広告[3]朝鮮日報 1978年5月3日 7面
https://newslibrary.chosun.com/view/article_view.html?id=1755919780503m10728&set_date=19780503(2021年12月30日閲覧)によると55,000ウォン。
当時、日本円と韓国ウォンはそれぞれ1$あたり200円前後[4]「為替レート(USドル/円)の推移|新電力ネット」
https://pps-net.org/statistics/exchange(2021年12月30日閲覧)と480ウォン(固定レート)[5]大韓民国ウォン – Wikipedia(2021年12月30日閲覧)だったので、乱暴な比較ではありますが、ざっくり換算すると23,000円くらいに相当したことになります。
さて。
このKOBICA 35 BC-1は韓国のカメラのなかでも特筆すべき機種なんです。
というのが、このカメラは韓国初の、独自の国産カメラなのです。
大韓光学とKOBICA
わたしが韓国製カメラに興味を持ったのは、先日動画でも取り上げた、佐藤成夫さんの同人誌『佐藤評論番外編』がきっかけでした。
同書では、韓国のカメラ産業というのは世界的に見ても類を見ない歴史を歩んだということが述べられています[6]『佐藤評論 番外編 特集:知らなくても困らない韓国カメラの世界』2021年、サークル … Continue reading。
具体的には、まずは自国の光学産業を政府のバックアップでイチから立ち上げた。
そして、自国の産業を保護するために、カメラを含む外国製品(主に日本製品)の輸入を強く制限した。
それにより、他国では日本製のカメラが市場を席巻していたのに対して、韓国では自国製の独自のカメラ、日本メーカーとの合弁によるカメラが1970年代から1990年代にかけて製造、販売されることになりました。
このあたりの流れについては、佐藤成夫さんの同人誌『佐藤評論 番外編 特集:知らなくても困らない韓国カメラの世界』で詳しく取り上げられています。
私のチャンネルでも同人誌を紹介させていただいているので、ぜひご覧ください。
国策で立ち上げられた光学機器メーカー 大韓光学
さて、今回取り上げているKOBICA 35 BC-1を作った大韓光学は、そういった流れのなかで一番最初に国策によって立ち上げられた会社でした。
設立は1966年[7]『(취약경공업제품 수출증대방안조사) 카메라 輸出戰略』1981年、大韓貿易振興公社(日本語訳:『(脆弱軽工業製品輸出増大方案調査)カメラ … Continue reading。
朴正煕大統領の時代でした。
立ち上げにあたっては、日本から人材を招聘することとなります。
そのとき招かれたのが、アイレス写真機製作所の前身、ヤルー光学の立ち上げに関わった金谷相吉(読み不明)氏[8]『クラシックカメラ専科 No.22 アイレスのすべて』1992年、朝日ソノラマ、p.9という、在日韓国人の実業家だったのでした。
なお、金谷相吉氏の通名ではない韓国での本名は金相吉であったことが、1970年の新聞広告からわかっています[9]『京郷新聞』1970年3月18日 4-5面広告「EXPO’70で大きな成果を期待しながら… … Continue reading。
そして、カメラの製造にあたっては同じく日本のマミヤから技術を導入することになったのでした。
初期にはマミヤのレンズシャッター機がもととなった、VERIX 35-A1[10]『京郷新聞』1981年8月25日 5面「大韓光学コビカ サムスンミノルタ … Continue reading[11]「최초의 국산 35mm 카메라 베릭스 | … Continue readingや35-AII[12]「Happyblog: 대한광학 VERIX 35-AII」 http://cmkpsd.blogspot.com/2009/06/verix-35-aii.html(2021年12月30日閲覧) タイトル日本語訳:「大韓光学 VERIX 35-AII」 VERIX … Continue reading、レンズシャッター一眼レフMAMIYA/SEKOR 528TLがもととなったVERIX HQ 528 TL[13]韓国ビデオ博物館(大邱市)公式WebサイトよりVERIX HQ 528 … Continue readingなどを製造しました。
そしてついに1976年。
国産カメラであるKOBICA 35 BC-1の製造へと至るのでした。
ちなみに、KOBICA 35 BC-1は見ての通りマミヤの影響が強いことを見て取れますが、たとえば1981年の新聞記事には「シャッターを除いた部品を完全国産化」[14]『京郷新聞』1981年8月25日 5面「大韓光学コビカ サムスンミノルタ … Continue readingと書かれているように、おそらくはそれまではノックダウン生産だったものを完全に国産化したという意味合いであるようです。
シャッターは輸入しているじゃないかと思うかもしれませんが、例えば日本の場合でも、戦前にドイツなどからシャッターやレンズを輸入してボディだけ日本で作ったカメラは日本製として考えることが一般的なので、このKOBICA 35 BC-1が「韓国製のカメラ」であることは間違いないといえるでしょう。
大韓光学は1983年に倒産
ただし、このKOBICA 35 BC-1を作った大韓光学は経営難で1983年に倒産してしまいます。
KOBICAというブランド名の由来
なお、KOBICAというブランドについては、大韓光学がカメラのほかに双眼鏡を主力製品としていたことに由来しているとのことです[15]「KOBICA 35BC 카메라」(韓国歴史博物館Webサイトより、KOBICA 35 BCの紹介ページ)
https://www.much.go.kr/L/HRF8zl4T61.do(2021年12月30日閲覧)。
すなわち、韓国・双眼鏡・カメラという単語を並べて、
Korea
Binoculars
Camera
から頭の2文字を取ってKOBICAと名付けられたということです。
大韓光学の双眼鏡はかなり輸出されたらしく、当時の韓国にとって貴重な外貨獲得の手段となったということです。
KOBICA 35 BC-1の特徴
それではKOBICA 35 BC-1の特徴を見ていきます。
ざっくりといえば、KOBICA 35 BC-1は非常にオーソドックスな、連動距離計を内蔵したレンズシャッターカメラです。
巻き上げ
巻き上げはレバー巻き上げ。
分割巻き上げはできません。
巻き戻しはクランク巻き戻しです。
ファインダーと距離計
ファインダーは、採光式ブライトフレームがついていて、一眼式の連動距離計を内蔵しています。
パララックスの補正はなく、近接時の指標のみです。
距離計についてですが、設計自体は堅実なものです。
おそらく新品のときは問題なく使えたと思うのですが、使われている素材はあまりよくなく、経年劣化がみられました。
今回、きちんと精度を出すことはできなかったので、撮影のときは単体距離計を載せて可能な限りピントを合わせました。
なお距離計については、アクセサリーシューと、裏蓋の中のフィルムアパーチャー上部の蓋を外すことで、トップカバーを外さずに調整できるようになっています。
シャッター
シャッターは日本のコパル製です(B、1秒~1/500秒)。
ここについては、さすが1970年代のコパルだけあってすぐれた品質です。
重要部品であるレンズシャッターを輸入していることに疑問を感じるかもしれませんが、(これは佐藤成夫さんとのDMでのやりとりで指摘を受けたのですが)1970年代になって機械式のレンズシャッターを国産化することは意味がないと判断されたのでしょう。
シンクロ接点はボディ前面にX接点があります。
アクセサリーシューはホットシューではありません。
レンズ
レンズはKOREA OPTICAL TESSAR LENS 40mm F2.8です。
TESSARというこの名称ですが、当然ながらカール・ツァイスのテッサーがついているわけではありません。
韓国語のWebサイトでもカメラについて詳しくない方が書いたものではカール・ツァイスと勘違いしているものもあるのですが(韓国歴史博物館でさえ、ドイツの技術という言及がある)、事情としては、3群4枚のテッサータイプのレンズであるということで、TESSAR LENSと銘板に書いてしまったようです。
ただし、これは問題になったようで、製造途中からKORINARに改称されています。
ピント合わせは前玉回転式です。
今回レンズを清掃した時の写真ですが、このように後玉が貼り合わせなので間違いなくテッサータイプです。
どれくらいマミヤのカメラと似ているか
ところで、このカメラはマミヤのレンズシャッターカメラをもとに設計されているわけですが、じつはその名残もあります。
ファインダーガラス部分をネジを緩めて取り外すと、
このように、KOBICA 35 BC-1のトップカバーにも、本来は受光素子を置くために設けられた穴が残っているのです。
マミヤの似通った機種や、大韓光学がこのカメラの前に製造していたVERIX 35というカメラにはこの部分に露出計の受光部がありました。
KOBICA 35 BC-1では銘板で隠されています。
またトップカバーを外すと、このようにKOBICA 35 BC-1は本来露出計が入るべきスペースがからっぽになっています。
わたしが持っているカメラでは、ダイキャストの寸法こそ違うのですが、MAMIYA 35 Auto Deluxe IIのトップカバーにも似たような特徴があります。
露出計の受光部への配線の取り回しが同じ設計思想です。
という点から、KOBICA 35 BC-1は韓国初の国産カメラであるとともに、マミヤ製レンズシャッターカメラの末裔であるともいうことができるでしょう。
なお、1960年前後のマミヤのレンズシャッターカメラのダイキャストは複数種類があるようです。
すぎやま本の画像を見る限り、シンクロ接点の位置が一致していることから、KOBICA 35 BC-1はMAMIYA Ruby系の機種の流れをくんでいると思われます。
本機の名称 BCとBC-1
ひとつ、今回調べてもわからなかったこととして、カメラの名称があります。
わたしが持っているカメラはKOBICA 35 BC-1というのですが、韓国歴史博物館のWebサイトなどには、数字の「1」がつかないKOBICA 35 BCとして掲載されているのです。
外見上はBCとBC-1に違いがあるようには見えません。
ただし、わたしが持っているKOBICAは、後述するレンズの名前などに初期のKOBICAの特徴があるので、少なくとも製造開始時の特徴を保っていることは間違いないと思います。
KOBICA 35 BC-1で撮影した写真
それでは、このカメラで撮影した写真を見ていきます。
使用フィルムはKodak ColorPlus 200です。
Auto Amazon Links: プロダクトが見つかりません。
いつもの川
距離計については経年劣化で完全に調整することができなかったので、信頼できる単体距離計を併用して撮影しました。
さて。
どの写真もはっきりとピントは来ているのですが、ひと目見て気になるのが、周辺部が非常に流れているということです。
いま映していっている写真は、ご覧のように雲ひとつない快晴の日に撮影しています。
なのでだいたいF8かF11以上には絞っています。
中央部はしっかりとピントがきて、解像しているのですが、やはりどのカットでも周辺部は流れていて、独特な写りです。
どうやら、この写りについてはこういう写りなのだ、ということが結論なのでしょう。
新大久保
いつもの川で撮影する前にも、じつはフィルムを1本通していました。
韓国製のカメラなので、コリアタウンの新大久保に持っていったのですが、このときは距離計を信用して撮影してしまって、ピンぼけばっかりになってしまったのですよね。
新大久保は道が狭いので、夕方の早い時間にどこも日陰になってしまったのもよくなかったです。
この路地のカットは絞り開放なのですが、右側の建物を見るとどこかにピントがきているはずなんです。
でも絞り開放だとこういうボヤボヤの画になってしまう。
昼間に絞って画面中央に被写体を置くぶんには、使えなくもなかったのではないかと思います。
今回の撮影結果について
今回の撮影結果についてですが、はっきりいって結果がかんばしくありません。
さきほど画像を出しましたが、レンズエレメントを取り出しているので、たとえばレンズを裏表逆に組んでしまうなど、分解の失敗も疑っていました。
ですが、撮影後にも確認しましたが、組み間違えてはいないようです。
ただ、さすがにいくらなんでもテッサーの後玉を組み間違えたら気がつくはずですし、そもそもピントが来ないはずです。
なのですが、検索してみたところ、過去に韓国の方が同じカメラで撮影した写真が、まったく同じように周辺部が流れていた[16] … Continue readingんですよね。
なので、この写りはこのカメラ本来のものであると判断した次第です。
なお、大韓光学の名誉のためにいうと、ネット上にある写真を見る限り、このあとに出たKOBICA BC-7やBC-10といったカメラでは、描写については大幅に改善されているようです。
ぜひ、後継機種でどれくらい改善されたのか、実機を手に入れて確認してみたいです。
本機の歴史的意義
ということで、スペックや撮影結果を見てきました。
写りについては少々物足りない部分もあるものの、全体的にみれば、このカメラはとても意義深いものだったことは間違いありません。
韓国における初の自国製カメラであったのが重要なのはもちろんですが、このカメラの性能や設計についてもとても興味深く感じるんです。
堅実なカメラ
というのが、このカメラって非常に堅実なスペックのカメラなんですよね。
前玉回転式の連動距離計カメラで、露出計はなし。
それまでノックダウン生産していたカメラをもとに、確実に製造できる機能を取捨選択する。
精密部品であるレンズシャッターは、あえて信頼のおけるものを輸入する。
もととなったマミヤのカメラは、元をたどると1950年代後半に行き着きます。
ということはだいたい20年前の設計ということになるわけですが……
これが韓国で初めての国産カメラだったことを忘れてはいけません。
ある国で初めてカメラを作るということ
それまで完全な国産カメラを作っていなかった国で、初めて国産品を作ろうと思ったときに、これくらい堅実な設計を選ぶということは、非常に的確な判断だと思うんです。
まずは国産のカメラを一貫して生産する技術を身につける。
それが、このKOBICA 35 BC-1のテーマだったのではないでしょうか。
実際、大韓光学はこのあと、コニカC35風の外観をした露出計のないレンズシャッター機を経て、コニカC35EFの影響下にあるストロボ内蔵コンパクトカメラまでわずか数年でキャッチアップしています。
先程触れたように大韓光学は1983年に倒産してしまうのですが、それで技術の蓄積が無駄になったわけではなく、大韓光学自体は1986年、亜南精密(Anam、ニコンと合弁していたメーカー)に買収されます。
もちろん、大韓光学が育てた人材は韓国の各メーカーで活躍したことでしょう。
という点で、ひとつの国が、初めて自国で作るカメラとして、このKOBICA 35 BC-1は非常に正解に近い内容を持っていたと思うんです。
まとめ
じつは、佐藤さんの韓国カメラについての同人誌がきっかけになって、わたし個人でもいろいろと韓国カメラについて調べたんです。
それで感じたのが、1970年代から80年代にかけての韓国カメラって、非常に面白いということなんです。
多くの産業には、多くのメーカーが勃興して伸びていく面白い時期があると思います。
たとえば日本では1950年代に大小さまざまなカメラメーカーができて、1960年代に入るくらいまでに淘汰されていきました。
近年では、2010年代初頭の中国製Androidスマホやタブレットがそうだったでしょう。
韓国のカメラにおいては、そういう時期は1970年代後半にはじまり、1980年代後半に最高潮に達したといえるでしょう。
1990年代に入ると、日本メーカーとの合弁などでカメラを製造していたメーカーは続々と淘汰されて、最後にはサムスンしか残らないということになるのですが……。
そういう、これまで知られていなかったカメラの歴史がダイナミックに繰り広げられていた。
韓国のカメラについての情報は韓国語以外では非常に少ないのですが、ぜひ今後、歴史が紐解かれていってほしいと思っています。
わたしのblogにも先日、韓国カメラについての年表の記事を投稿しました。
そして、佐藤成夫さんが今後の同人誌で韓国カメラについて言及するとのことなのでとても期待しています。
ありがとうございました。
御部スクラでした。
おまけ:KOBICA 35 BC-1 分解時の内部写真
以下に分解時に撮影した画像をUPしました。
(情報が非常に少ないカメラなので、意識して内部の写真を多く撮影しました)